デ・ホーリーと日本
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「エルミア・デ・ホーリー」の記事における「デ・ホーリーと日本」の解説
デ・ホーリーの贋作は日本の美術館にも所蔵されている。デ・ホーリーの画商のルグロは1963年と1964年の二度にわたって来日し、東京都千代田区の帝国ホテルに宿泊した。当時ルグロを訪ねたエール・フランス関係者の証言によると、ルグロは帝国ホテルの自室の中に、高価であるべき様々な絵をまるでスーパーから買ってきた食料品のように無造作に放り出していたという。 このときの絵は、1964年、国立西洋美術館によってドランの油絵の大作『ロンドン橋』ならびにデュフィのグワッシュ『アンジュ湾』という触れ込みで購入された。前者の購入価格は2238万円、後者は280万円だった。このほか、ルグロはモディリアーニのデッサン『女の顔』という触れ込みの贋作を129万円で同美術館に売りつけることに成功している。たまたま同じ時期に訪日中だったフランス文化相アンドレ・マルローは、同美術館館員佐々木静一から頼まれ、商談完了前にこれらの絵を見てやった。このときマルローは「こんな優れた作品が、なぜフランス国外に流出したのか」と驚きの言葉を述べた。そしてマルローはこれらの作品の価格を聞かされると、こんな立派な作品ならそれも至極当然でしょうと発言した。こうして25万ドル以上の金を握ったルグロたちは、デ・ホーリーへの土産として日本製の6インチポータブルテレビを買って離日した。 これらの絵については、1966年2月17日、第55回参議院文教委員会にて小林武参議院議員が贋作疑惑を追及したが、同美術館事業課長の嘉門安雄は「真作にまちがいない」と主張した。そして1967年5月9日、小林議員は再びこの問題を取り上げて同美術館館長富永惣一を問い詰めたが、富永は鑑定書を根拠にあくまで真作であるとの見解を変えなかった。しかしその後、クリフォード・アーヴィングの前掲書(1969年)によってこの時の鑑定書は偽造に過ぎなかったことが明らかにされた。この後、1971年9月18日、文化庁と同美術館は3点とも「真作とするには疑わしい。今後一切展示しない」との声明を発表した。 また、ホーリーによる贋作と見られる作品13点を、贋作であることを明示して展示・販売する目的で日本の美術商が輸入しようとした際に、大阪税関において関税定率法に抵触する著作権侵害物品として積み戻しを命じられる事件(贋作絵画輸入事件)が発生している。美術商側は著作権侵害物品ではないとして告訴したが、平成8年の一審・翌年の二審ともに原画の複製物・二次著作物であるとして請求は棄却された。
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