デ・ホーリーと日本とは? わかりやすく解説

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デ・ホーリーと日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:57 UTC 版)

エルミア・デ・ホーリー」の記事における「デ・ホーリーと日本」の解説

デ・ホーリーの贋作日本の美術館にも所蔵されている。デ・ホーリーの画商のルグロは1963年1964年二度わたって来日し東京都千代田区帝国ホテル宿泊した当時ルグロを訪ねたエール・フランス関係者の証言によると、ルグロは帝国ホテル自室中に高価あるべき様々な絵をまるでスーパーから買ってきた食料品のように無造作に放り出していたという。 このときの絵は、1964年国立西洋美術館によってドラン油絵大作ロンドン橋ならびにデュフィグワッシュアンジュ湾』という触込み購入された。前者購入価格は2238万円後者280万円だった。このほか、ルグロはモディリアーニデッサン女の顔』という触込み贋作129万円で同美術館売りつけることに成功している。たまたま同じ時期訪日中だったフランス文化アンドレ・マルローは、同美術館館員佐々木一から頼まれ商談完了前にこれらの絵を見てやった。このときマルローは「こんな優れた作品が、なぜフランス国外に流出したのか」と驚き言葉述べた。そしてマルローはこれらの作品価格聞かされると、こんな立派な作品ならそれも至極当然でしょう発言した。こうして25ドル上の金を握ったルグロたちは、デ・ホーリーへの土産として日本製の6インチポータブルテレビを買って離日した。 これらの絵については、1966年2月17日第55回参議院文教委員会にて小林武参議院議員贋作疑惑追及したが、同美術館事業課長嘉門安雄は「真作まちがいない」と主張した。そして1967年5月9日小林議員は再びこの問題取り上げて美術館館長富永惣一問い詰めたが、富永鑑定書根拠にあくまで真作であるとの見解変えなかった。しかしその後クリフォード・アーヴィング前掲書(1969年)によってこの時の鑑定書偽造に過ぎなかったことが明らかにされた。この後1971年9月18日文化庁と同美術館3点とも「真作とするには疑わしい今後一切展示しない」との声明発表したまた、ホーリーによる贋作と見られる作品13点を、贋作であることを明示して展示販売する目的日本の美術商が輸入しようとした際に、大阪税関において関税定率法抵触する著作権侵害物品として積み戻し命じられる事件贋作絵画輸入事件)が発生している。美術商側は著作権侵害物品ではないとして告訴したが、平成8年一審翌年二審ともに原画複製物二次著作物であるとして請求棄却された。

※この「デ・ホーリーと日本」の解説は、「エルミア・デ・ホーリー」の解説の一部です。
「デ・ホーリーと日本」を含む「エルミア・デ・ホーリー」の記事については、「エルミア・デ・ホーリー」の概要を参照ください。

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