デザインと建造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 00:14 UTC 版)
「ルーヴル・ピラミッド」の記事における「デザインと建造」の解説
当時のフランス大統領フランソワ・ミッテランが、「パリ大改造計画 (en:Grands Projets of François Mitterrand)」を推進した。この計画の一環として「大ルーヴル計画 (Grand Louvre)」が実施されることとなり、1983年に大ルーヴル計画公団が設立され、建築家イオ・ミン・ペイに、ナポレオン広場に新たに設置するメイン・エントランスの設計が任された。イオ・ミン・ペイは、滋賀県のMIHO MUSEUM、モントリオールのカナダロイヤル銀行本部ビル (en:Place Ville-Marie)、そしてワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート東館などの設計にも携わった建築家である。建築には、モントリオールのニコレ・シャトラン・ノール社がデザイン時に、建築家ユニットRFR (en:RFR Engineers)が建設時に参画している。完成したルーヴル・ピラミッドは、ガラスを主材料としており、高さ20.6メートル、底辺35メートルに達しており、603枚の菱形のガラス板と70枚の三角形のガラス板とで構築されている。 ルーヴル・ピラミッドとその地下のロビーは、それまでのルーヴル美術館のメイン・エントランスが持っていた、日々の膨大な数の入館者に対応しきれないという問題点の解決を主眼に設計された。ルーヴル・ピラミッドが建設されメイン・エントランスとなってからは、入館者はルーヴル・ピラミッドを通って広々とした地下ロビーへと降りていき、ルーヴル美術館本体へと昇っていくという入館路になった。 デザイン史家マーク・ピムロットは、イオ・ミン・ペイの設計について「(ルーヴル美術館を訪れる)人々を中央入館路から広大な地下ロビーへと案内することにより、様々な目的でルーヴル美術館を訪れた人々の足取りを分散させることを目的として設計されている。(ルーヴル・ピラミッドの)巨大な骨組構成は、古代ポンペイの邸宅の吹き抜け建築を髣髴とさせる。格子状にガラスとフレームが組み合わされた開放的な構成は、オフィスビルの吹き抜けをも連想させる。この場所を基点として思い思いの場所へと足を運ぶ人々からすれば、鉄道ターミナルや国際空港の順路ともいえるだろう」としている。 ルーヴル美術館と同様の構想を持って設計された美術館(博物館)が、他にいくつか存在している。有名な博物館としてシカゴの科学産業博物館があり、ルーヴル美術館と同じく、メイン・エントランスからいったん地下へと降りてから、美術館本体へと上がっていく入館路となっている。また、1982年4月に開設されたヘイヴァリング・ロンドン特別区のドルフィン・センター (en:Dolphin Centre) には、ルーヴル・ピラミッドとよくにたピラミッドがある。ピラミッドの基礎部分と、地下ロビーの工事は、フランスの建設会社ヴァンシが担当した。
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