ティベリウスの隠棲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:30 UTC 版)
「ルキウス・アエリウス・セイヤヌス」の記事における「ティベリウスの隠棲」の解説
小ドルススの没後、ティベリウスの後継者はゲルマニクスの遺児のうち、すでに成人していたネロ・カエサルとドルスス・カエサルの2人に絞られた。小ドルススの双子の息子のうち1人は23年に夭折し、もう1人ティベリウス・ゲメッルスはまだ幼かった。 そのためセイヤヌスは、この2人とその後ろ盾となっていたその母大アグリッピナを次の標的とした。もともとティベリウスは大アグリッピナに好意的ではなかったが、セイヤヌスは続けて毒薬を用いる危険を避け、こうしたティベリウスの感情を煽りたて利用した。また、大アグリッピナとその息子たちの破滅はセイヤヌスの情婦となっていたリウィッラも望むところだった。加えてカエサル家で巨大な権威を保持していたアウグストゥスの寡婦リウィア・ドルシッラも、やはり大アグリッピナの権勢を快く思ってはいなかった。 こうした状況の中で、セイヤヌスはゲルマニクスの友人たちを次々と攻撃し、自らの地位を確立していった。他方でリウィッラとの結婚をティベリウスに願い出たが、これは騎士身分のセイヤヌスには分不相応と認められなかった。 26年にティベリウスはカンパニアへと出発する。名目としてはカプアでユピテルの、ノラでアウグストゥスの神殿を奉献するためであったが、実際には都の喧騒から離れたいというティベリウスの長年の願望の実現のためであった。同行したのはセイヤヌスのほか、元老院議員コッケイウス・ネルウァ、上級ローマ騎士クルティウス・アッティクスなどに限られ、それ以外はほとんどがギリシア人などの文人であった。 カンパニアに滞在中、ティベリウスがタラキナに近い「スペルンカ(洞窟の館)」と呼ばれる別荘で食事をとっていたところ、落盤が起こり数人が犠牲となった。このときセイヤヌスは身を挺してティベリウスを守り、以後その信頼は絶対的なものとなった。 ティベリウスがイタリア半島を離れカプリ島へ居を定めると、セイヤヌスはティベリウスとのアクセスを完全に掌握し、最大の権勢を誇るようになった。セイヤヌスの誕生日は公式に祝われ、各軍団の軍団旗の間には最高司令官ティベリウスの像と共にセイヤヌスの像が置かれた。多くの者がセイヤヌスとの友情を強く求めるようになった。 一方でネロ・カエサルと大アグリッピナへの攻撃も続け、ネロの言動はその妻リウィア・ユリアからその母リウィッラを通して逐次報告されていた。また自らの権勢のため、兄を疎ましく思っていたドルスス・カエサルもセイヤヌスは自派に抱き込んでいた。
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