ティベリウスの動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 03:45 UTC 版)
「グラックス兄弟」の記事における「ティベリウスの動機」の解説
ティベリウスは紀元前133年に護民官に就任し現行法を再適用しつつ改革に乗り出したが、彼の改革の動機を、従来の中小農民の救済ではなく、中小農民の資産を固定することによって、軍務資格者を維持することにあるとする説もある。これはセンプロニウス法に、農地の譲渡を禁止する条項があることから来ている。 また、ローマの社会危機ではなく、彼の属していたグループ(ファクティオ)による党略の見地からの解説も行われている。クラウディウス氏族プルケル家、ティベリウスの属するセンプロニウス氏族グラックス家、ムキウス氏族スカエウォラ家からなるグループの首領は、ティベリウスの義父であるアッピウス・プルケルで、彼らの支持層を拡大するために改革に固執し、他のノビレスから多大な反発を受けた結果、ティベリウスは暗殺されたというものである。ただ、この説には反対する声もある。
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