チューレゲート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:27 UTC 版)
「チューレ空軍基地米軍機墜落事故」の記事における「チューレゲート」の解説
デンマークの非核化方針は、連立政権が1957年にパリでのNATO首脳会議に至るまでの間に核兵器を国内に保有しないことを決定したことに始まった。このため、1968年にグリーンランド上空に爆撃機が存在していたという事実は、その方針に反していたという国民の疑念と非難の引き金となった。「ハードヘッド」任務の本当の内容は事故当時発表されず、デンマークおよびアメリカ政府は、爆撃機は定常任務でグリーンランド上空にいたのではなく、一回限りの緊急発進だったと主張した。これは1990年代に機密扱いを解かれたアメリカの文書の内容と矛盾しており、1995年に「チューレゲート」と呼ばれるデンマークの政治スキャンダルになった。 デンマーク議会は、デンマーク国際問題研究所(DUPI)に対し、グリーンランド上空を飛行したアメリカの核の履歴と、これに関するチューレ空軍基地の役割についての調査を委嘱した。1997年1月17日に2巻からなる調査結果が公表され、核武装した航空機がグリーンランド上空を頻繁に通過していたが、アメリカは誠意を持って行っていたことが確認された。この報告書は、デンマークの当時の首相H.C.ハンセンがデンマークとアメリカの安全保障協定に曖昧さを持ち込んだことを批判した。ハンセンは、1957年にアメリカ大使とチューレ基地について会談した際に、デンマーク政府の核政策について問い合わせることも話すこともしなかった。ハンセンは、不名誉な公開文書が「特別な種類の軍需品」に関する問題が取り上げられず、それを加えようともしなかったと指摘した会議を引き続き行った。そうすることで、報告書が断定したところでは、彼は暗黙のうちにアメリカがチューレに核兵器を保管することを認めた。 DUPIの報告書はまた、アメリカが1965年までグリーンランドに核兵器を貯蔵しており、外務大臣ニルス・ヘルヴェ・ペダーセンの、兵器はグリーンランドの空中にはあったが地上には決してなかったという発言と矛盾していたことも確認した。さらに、これまで極秘だった、アメリカ陸軍がグリーンランド氷床下に最大600発の核ミサイルを貯蔵する計画、プロジェクト・アイスワームの詳細も明らかにした。
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