チューレ監視任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:27 UTC 版)
「チューレ空軍基地米軍機墜落事故」の記事における「チューレ監視任務」の解説
1960年、アメリカ空軍戦略航空軍団(SAC)は、平時に核武装したB-52爆撃機をソ連国境沿いに飛行させる空中待機プログラム、クロームドーム作戦を開始した。この作戦は常時12機以上の爆撃機を飛行させておくというものだった。これら爆撃機がソ連からの先制攻撃時のSACの攻撃力となり、重要な核抑止力になっていた。1961年初頭、B-52は、チューレ空軍基地のソ連のミサイル発射に対応する戦略的に重要な弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)を目視で監視するため、極秘の「ハードヘッド」任務(または「チューレ監視任務」)で基地上空も飛行していた。空中から監視することで、もし基地と北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)との通信が途絶した場合に、爆撃機のクルーが途絶の原因が敵の攻撃か技術的トラブルかを判断することができた。監視任務は、任命された機体が中間地点であるバフィン湾の北緯75度0分 西経67度30分 / 北緯75.000度 西経67.500度 / 75.000; -67.500に達した時点で開始され、基地上空35,000フィート (11,000 m)で、8の字飛行で上空待機することとされていた。 1966年、国防長官のロバート・マクナマラは、BMEWSシステムが完全に稼働し、ミサイルの配備によって爆撃機の重要度が減少しており、また1億2千3百万ドル(2009年時点での8億2千8百万ドルに相当)かかる経費を削減できることから、「クロームドーム」の中止を提案したが、SACや統合参謀本部はこれに反対し、4機の爆撃機の小部隊が毎日警戒に当たることで妥協した。計画は縮小され、1966年のスペインでのB-52墜落によりその危険性が浮き彫りになったにもかかわらず、SACは1機をチューレ空軍基地の監視に割り当て続けた。軍以外の当局は具体的な作戦内容について「知る必要性 (Need to know)」がないとして、SACはこの割り当てについて知らせていなかった 。
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