クロームドーム作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:27 UTC 版)
「チューレ空軍基地米軍機墜落事故」の記事における「クロームドーム作戦」の解説
この事件は、この後数年にわたり論争を巻き起こした。それはチューレ空軍基地がグリーンランドの住民に対して核事故および潜在的な超大国の衝突の危険性をもたらしていることを浮き彫りにした。パロマレスでの墜落事故の2年後に起こったこの事故は、その政治的および作戦的リスクから、直ちにクロームドーム作戦を中止するきっかけとなった。スコット・サガンは、機体がチューレ基地に墜落した場合、ミサイル早期警戒システムおよび冗長警戒機が同時に失われ、NORADが誤って核攻撃が開始されたと判断を下す可能性があったとしている。1974年、チューレとアメリカ本土の通信手段が、海底通信ケーブルからより信頼性の高い衛星通信に切り換えられた。 グリーンピースによると、アメリカとソ連は、1961年のゴールズボロでのB-52墜落、1966年のパロマレスでのB-52墜落、およびこのチューレでの事故を十分懸念しており、将来の核事故が相手陣営に先制攻撃が進行中であると誤って判断されることを確実に避ける措置をとることで合意したという。その結果、1971年9月30日に2大強国は、「核戦争の危険を低減する方策に関する合意書」にサインし、核戦争の危険が高まるような、核兵器に関する、偶発的、無許可、あるいは原因不明の事件が発生した場合は直ちに相手側に通知することで合意した。また、両者はあらゆる連絡にモスクワ-ワシントン間ホットラインを利用すること、同時にこれをアップグレードすることで合意した。
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