チャタル・ヒュユクの宗教及び母神像
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「チャタル・ヒュユク」の記事における「チャタル・ヒュユクの宗教及び母神像」の解説
遺跡の上層からは、女性の土偶が発見されている。神殿と同定できる遺構はいまだに確認されていないものの墓や壁画や土偶は、チャタル・ヒュユクの人々が豊富な宗教的シンボリズムをもっていたことを示している。そのようなものが集中的に発見される部屋は「祠堂」ないしは、公共の会議場であったと思われる。 チャタル・ヒュユクでもっとも印象的なのは女性の彫像(土偶ないし石偶)である。最初に発掘調査を行ったメラートは、丹精をこめて丁寧につくられた彫像は女性をあらわすと考えられ、大理石や青みがかった石灰岩、褐色を帯びた石灰岩、片岩、方解石、玄武岩、アラバスターを刻んだり、粘土で象ってつくられた。男性神もいたにもかかわらず、IV層よりも後になるとみられなくなり、女神像は男神像に数においては圧倒的に凌駕している。 丁寧に作られた女神像は、メラートが「祠堂」であると考えた場所で発見された。二匹のライオン(ないし、猫科動物)が脇にいる女神像一体が穀物蔵から発見されたとき、メラートは穀物の実りを保障したり、穀物の供給を守護する意味があるのだろうと推察した。メラートが4度にわたる発掘調査で200ヶ所近い建物を調査した一方で、イアン・ホダーは、わずかひとつの建物に全調査期間を費やした。ホダーは、2004年から2005年にかけてメラートが発見してきたおびただしい量の丁寧に作られた豊満に肥った母神像と同じものを発見している。2005年に発見されたものは衝撃的で、ホダーは、チャタル・ヒュユクに関する公式サイトで、チャタル・ヒュユクに関する社会像を抜本的に変えなければならないかもしれないと前置きして、「母神像の豊満な胸には、両腕が置かれ、腹部が中央部をなして大きく張り出している。母神像のひとつを回転させて向きを変えると腕が非常に細く非常に細身で干からびたような人物の骨や骨格が描かれているのがみられる。あばら骨や脊椎骨がむき出しになっている。肩甲骨と骨盤もむき出しになっている。この母神像は、チャタル・ヒュユクの社会や表現力の性格について見方を一変させるようなユニークなものといえる。」と述べている。
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