スペンサー卿との不仲と離婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 16:56 UTC 版)
「フランセス・シャンド・キッド」の記事における「スペンサー卿との不仲と離婚」の解説
しかしチャールズ誕生後、夫婦仲がおかしくなった。フランセスは才気ある女性で刺激のないパークハウスでの隠遁生活に嫌気がさしていたが、オールソープ卿は逆に田舎生活を好む人で騒がしいロンドンへ上京するのが億劫だった。二人の関係は険悪になっていき、幼いダイアナも客間のドアの後ろに隠れていた際に両親が口論しているのを目撃したことがあるという。 フランセスはロンドンへよく上京し、ロンドン社交界に積極的に参加するようになった。そしてオーストラリア帰りの実業家で妻子持ちのピーター・シャンド・キッド(英語版)と恋仲になった。風来坊な雰囲気のあるピーターはオールソープ卿にない刺激を持っていたという。 フランセスによれば、1967年9月にオールソープ卿が彼女に家庭内暴力を振るったという。これを機にフランセスはダイアナとチャールズを連れてパークハウスを出た(セーラとジェーンは寄宿学校に入っていた)。そしてロンドン・ベルグレーヴィアのカドガン・プレイス(英語版)にフラットを借りてピーターとの同棲生活を開始した。12月に子供たちにパークハウスでクリスマスを過ごさせるため一時戻したが、オールソープ卿は子供たちをロンドンへ帰さず、そのままパークハウス近隣の学校へ入学させた。 フランセスが弁護士に相談したところ、家庭内暴力を理由に離婚訴訟を開始するのがよいと勧められた。しかし彼女が訴訟を起こすより前の1968年4月にシャンド・キッド夫人が夫ピーターの不倫を理由に離婚訴訟を起こした。この裁判でフランセスは姦通の相手として糾弾され、ピーターは子供3人の親権を失った。同年6月にオールソープ卿夫妻の訴訟が始まったが、シャンド・キッドの離婚訴訟で浮気が確定していた彼女の立場は悪かった。実の母であるルースさえも娘の不倫に怒り心頭になり、「娘婿が暴力を振るうところなど見たことがない」「娘には母親の資格がない」と証言した。フランセスは夫の「家庭内暴力」についての証人を得ることができず、結果、子供たちの親権はオールソープ卿に認められることとなった。
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