スペイン内戦やノモンハン事件の戦訓
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「T-34」の記事における「スペイン内戦やノモンハン事件の戦訓」の解説
日ソ国境紛争の1938年7月の張鼓峰事件や1939年のノモンハン事件で、ソ連軍は日本陸軍に対して多数の戦車を使用した。当時のソ連戦車は、日本軍の九五式軽戦車の低初速な37mm砲や九四式三十七粍砲によって容易に破壊された。従来のソ連戦車は、日本歩兵の火炎瓶攻撃を受けると容易に火災をおこした。当時のソ連戦車はガソリンエンジンを装備しており、被弾でガソリンに点火して火災を起こしやすく、 (Zaloga & Grandsen 1984:111)また車体塗装のペンキは可燃性で、火炎瓶攻撃で引火炎上しやすかった。スペイン内戦においても、共和派に供与されたT-26がフランコ派の火炎瓶攻撃や対戦車砲撃で大きな打撃を被った。さらには、装甲板をリベット留めした部分も脆弱であることが分かった。リベット留めの装甲板は「破砕」(spalling)の問題につながった。これは、敵弾が当たった時、その弾そのもので戦車や乗員を無力化できなかったとしても弾が当たった時の衝撃でリベットや、断裂した装甲板の破片が車内に飛散し乗員を殺傷してしまう現象でもあった。 この戦訓から、赤軍指導部は以後戦車の塗料を不燃性のものとし、装甲板に電気溶接を採用し、ディーゼルエンジンを搭載するようになった。これらの戦訓はT-34開発に生かされることになった。また歩兵支援を重視する守旧派から、独立した戦車部隊の集中運用を主張する、トハチェフスキーやゲオルギー・ジューコフが赤軍内部で主導権を握り、のちの独ソ戦における戦車用兵思想に影響を与えた。
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