スペイン再進撃 (1813年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「スペイン再進撃 (1813年)」の解説
ウェリントン侯爵は1813年2月にスペインへの再遠征を計画し、5月からそれを実行に移した。ポルトガルを発つにあたってウェリントン侯爵は2度とここには戻らないと宣言した。この頃、ウェリントン侯爵の手元にはイギリス・ポルトガル軍8万人とスペイン軍2万人、スペイン不正規軍5万人の兵力があった。 6月13日にビトリアの戦いでスペイン王ジョゼフ・ボナパルトとその軍事顧問ジャン=バティスト・ジュールダン元帥率いるフランス軍と対峙したが、補給面で圧倒的に有利なイギリス軍の圧勝に終わった。ジョゼフはウェリントン侯爵がフランス軍と本国の連絡線を断とうとしていることに気付き、パンプローナに向けて後退していった。この戦いは半島戦争におけるイギリス軍の優勢を決定づけた戦いとなった。イギリス軍はフランス軍が置き去りにしていった多くの戦利品を得ることができたが、その中にジュールダン元帥の指揮杖もあった。ウェリントン侯爵はこれを摂政皇太子ジョージに献上した。それに対して摂政皇太子は「フランス元帥の指揮杖をもらった代わりにイギリス元帥の指揮杖をあげよう」という洒落た返事とともにウェリントン侯爵を元帥に昇格させる辞令を下した。 一方ナポレオンは敗戦報告を受けて激怒し、ジュールダンを解任してスールト元帥を後任とした。 ウェリントン侯爵は7月からスペイン国内に残された二つのフランス軍要塞、サン・セバスティアンとパンプローナの攻略を開始したが、スールト元帥はこの英軍の分散を利用してロンセスバーリェスとマヤ峠に攻勢をかけて英軍を追い、さらにパンプローナを包囲する英軍を襲撃してその補給物資を鹵獲しようとした。ウェリントン侯爵はスールト軍がレサカを強襲すると予想して準備していたのでこの動きには裏をかかれた形だった。 だがウェリントン侯爵はすぐにパンプローナ北方に全軍を終結させて防衛体制を整えるとソラウレンの戦い(英語版)で得意の守備戦に持ち込んだ。スールト元帥がサン・セバスティアン要塞救出のための行軍中に誤ってウェリントンの本陣に突っ込んだことが功を奏し、フランス軍を徹底的に叩くことに成功した。他のフランス軍もイギリス軍から補給物資を鹵獲することに失敗してフランス本国へ敗走していった。余裕の出来たイギリス軍は、この後8月から10月にかけてサン・セバスティアンとパンプローナをじっくり攻略した。 ここにフランス軍はイベリア半島から完全に駆逐されたのだった。
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