スペイン再進撃とは? わかりやすく解説

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スペイン再進撃 (1813年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:09 UTC 版)

アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「スペイン再進撃 (1813年)」の解説

ウェリントン侯爵1813年2月スペインへの再遠征計画し5月からそれを実行移したポルトガルを発つにあたってウェリントン侯爵2度とここには戻らない宣言したこの頃ウェリントン侯爵の手元にはイギリス・ポルトガル軍8万人スペイン軍2万人、スペイン正規軍5万人の兵力があった。 6月13日ビトリアの戦いスペイン王ジョゼフ・ボナパルトとその軍事顧問ジャン=バティスト・ジュールダン元帥率いフランス軍対峙したが、補給面で圧倒的に有利なイギリス軍圧勝終わったジョゼフウェリントン侯爵フランス軍本国連絡線断とうとしていることに気付きパンプローナ向けて後退していった。この戦い半島戦争におけるイギリス軍優勢決定づけた戦いとなったイギリス軍フランス軍置き去りにしていった多く戦利品を得ることができたが、その中にジュールダン元帥指揮杖もあった。ウェリントン侯爵はこれを摂政皇太子ジョージ献上した。それに対して摂政皇太子は「フランス元帥指揮杖もらった代わりにイギリス元帥指揮杖あげよう」という洒落た返事とともにウェリントン侯爵元帥昇格させる辞令下した一方ナポレオン敗戦報告受けて激怒しジュールダン解任してスールト元帥後任とした。 ウェリントン侯爵7月からスペイン国内に残され二つフランス軍要塞サン・セバスティアンパンプローナ攻略開始したが、スールト元帥はこの英軍分散利用してロンセスバーリェスマヤ峠に攻勢をかけて英軍追い、さらにパンプローナ包囲する英軍襲撃してその補給物資鹵獲ようとしたウェリントン侯爵スールト軍がレサカ強襲する予想して準備していたのでこの動きには裏をかかれた形だった。 だがウェリントン侯爵はすぐにパンプローナ北方全軍終結させて防衛体制を整えるとソラウレンの戦い英語版)で得意の守備戦に持ち込んだスールト元帥サン・セバスティアン要塞救出のための行軍中に誤ってウェリントン本陣突っ込んだことが功を奏しフランス軍徹底的に叩くことに成功した。他のフランス軍イギリス軍から補給物資鹵獲することに失敗してフランス本国敗走していった余裕出来たイギリス軍は、この後8月から10月にかけてサン・セバスティアンパンプローナをじっくり攻略した。 ここにフランス軍イベリア半島から完全に駆逐されたのだった

※この「スペイン再進撃 (1813年)」の解説は、「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の解説の一部です。
「スペイン再進撃 (1813年)」を含む「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事については、「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の概要を参照ください。

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