ストック・フッテージ
ストック・フッテージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 02:46 UTC 版)
「失われた映画」の記事における「ストック・フッテージ」の解説
失われた映画の一部が、ストック・フッテージとして他の映画の中に使われて部分的に残る、という事例もいくつかある。 ユニバーサル映画が1930年に制作した長編映画『猫は這い寄る (The Cat Creeps)』は失われた映画であるが、辛うじて現存している部分はユニバーサルが1932年に制作した短編映画『Boo!』の一部に盛り込んだものだけである。ただし、この作品のサウンドトラックのコピーはカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) が保有している。ジェームズ・キャグニーが主演した1932年の映画『拳闘のキャグネイ (Winner Take All)』は、いち早く1929年に制作されたテキサス・ギナン(英語版)主演のトーキー『Queen of the Night Clubs』の一部を流用していた。1932年の時点では『Queen of the Night Clubs|』は失われた映画ではなかったが、数十年を経てそのプリントはすべて失われ、『拳闘のキャグネイ』に流用された部分だけが現存する形になった。 女優からゴシップ・コラムニストに転じたヘッダ・ホッパーの女優デビュー作は、フォックス映画が1916年に制作した『The Battle of Hearts』であった。この作品の主演はウィリアム・ファーナム(英語版)だったが、長くフォックスと契約していたファーナムの経歴においてはその最初期に当たっていた。26年後の1942年に、ホッパーは自ら制作にあたって短編映画『Hedda Hopper's Hollywood #2』を作った。この短編内では、ホッパー、ファーナム、ホッパーの息子ウィリアム・ホッパー、その妻ジェーン・ギルバート (Jane Gilbert) が『The Battle of Hearts』を見る場面がある。この映画は、ホッパーのドキュメンタリーの中に残された短い部分だけが現存している。おそらくは、ホッパーも1942年の時点でこの映画の完全なプリントは持っていなかったものと思われる。いずれにせよ、『The Battle of Hearts』は、今では失われた映画となっている。 チャールズ・チャップリンの最もよく知られた作品のひとつである1925年に制作されたサイレント映画『黄金狂時代』は、1942年に音楽のトラックとチャップリン自身のナレーションを追加したうえで再上映された。オリジナル版のフィルムは、現在も一般的には失われたものとはされていないが、明らかな画質の劣化や一部に脱落したフレームを含んでおり、それらが見られない1942年版のリイシューは、意図しない形でこの映画を保存することになった。 1939年に制作されたポーランドの映画『O czym się nie mówi』には、ポーラ・ネグリの初期出演作のひとつで後に失われた1917年の映画『Arabella』からの3箇所の短い断片が組み込まれている。
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