ジョン・メルヴィル説
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「ミンスミート作戦」の記事における「ジョン・メルヴィル説」の解説
ジョンおよびノーリーン・スティーリー夫妻(John & Noreen Steele)は著書 The Secrets of HMS Dasher の中で、死体の正体について別の見解を示唆している。1943年3月27日、スコットランド西岸のクライド湾に停泊中の護衛空母ダッシャー(HMS Dasher D37; 米国で建造)で事故による爆発があり、ダッシャーは沈没し379名が死亡した。イギリス軍当局は、イギリスの民衆がアメリカの造船所の欠陥を非難して度を失うよりは、これを秘匿しようと試みた(イギリスは最多で40隻のアメリカ製空母を採用していたが、これ以上の事故は発生していない)。死者は最初は目立たない大量埋葬墓地に葬られた。スティーリー夫妻はミンスミートの死体は、この事故で死亡した水兵の一人で、37歳のジョン・メルヴィル(John "Jack" Melville)であると主張する。彼らは、もしマイケルの死体が使用されたのであれば、それは1943年1月に調達されたことになるが、4月30日までには(冷凍ではなく)冷蔵されていたとしても、非常に腐敗が進んでいたはずだと強調する。また、彼らは、冷凍すれば死体に判別可能な変化を与えてしまうから、冷凍という選択肢はあり得ないと主張する。この点は、モンタギューの説明と対立する(モンタギューは、ブーツを履かせるために死体の足を解凍しなければならなかったと述べている)。 スティーリー夫妻によれば、セラフはノーサンバーランドのブリス (Blyth, Northumberland) に停泊していたが、モンタギューがキャニスターをロンドンから配送したという時期には、スコットランドを回ってクライド湾のホーリー・ロッホ(主要な潜水艦の基地があった)まではるばる航行している。クライド湾は、ロンドンからブリスまでの距離よりも遠い。スティーリー夫妻は、これはオリジナルの計画でマーティン少佐になるはずだった死体は腐敗して使い物にならなくなり、ダッシャー事件で発生した新鮮な死体が代わりに用いられたと考えなければ理屈に合わなくなるだろうと論ずる。また、彼らはモンタギューはキャニスターをロンドンから運んだが、中身は空だったとする。 2004年時点で同名の艦であるダッシャー(HMS Dasher P280)は全長20.8 mの哨戒艇であり、キプロスのイギリス空軍基地周辺で任務にあたっている。2004年10月8日、記念式典がメルヴィルの実娘のマッケイ夫人(Mrs Mackay)を招いて、メルヴィルのかつての乗艦と同名である現ダッシャー艦上で行われ、その中でメルヴィルのマーティン少佐としての役割が、イギリス海軍によって公式に認知された (The Scotsman, 2007-04-12)。式典で、在キプロス海軍中隊指揮官のマーク・ヒル少佐は次のように述べている。 マーティン少佐として、かりそめの肉体を与えられたジョン・メルヴィルの記憶は、映画『存在しなかった男』の中に息づいている。しかし、われわれは、ジョン・メルヴィルを最も確かに存在した男として追悼するためにここに集まった。
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