ジャージー島の旗の沿革とは? わかりやすく解説

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ジャージー島の旗の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 02:46 UTC 版)

ジャージーの旗」の記事における「ジャージー島の旗の沿革」の解説

1981年以来使われている旗にはジャージーの紋章王冠描かれているが、それ以前の旗は白地に赤い斜め十字だけの単純な旗だった。 この旗の起源ははっきりとは分かっていない。この旗がアイルランド聖パトリック十字旗(やはり白地に赤い斜め十字で、ユニオンジャックにも組み込まれている)に似ていることから、かつてオランダ人がこの地域海図を描く際に「Ierse」(ジャージー)という地名誤って「Erse」(アイルランドと書き間違え聖パトリック十字旗を描いてしまったことからジャージーもこの旗になったという言い伝えもあるが、実際のところは疑わしい聖パトリック十字アイルランド代表するシンボルとされたのは、英国アイルランドの最高の勲章聖パトリック勲章制定され1783年のことであるが、これより前に作図されたフランス海軍海図ジャージー島部分に赤い斜め十字の旗があることから、ジャージー十字の方が古いことがわかる。 また、赤い斜め十字ノルマン人起源とする説もある。聖パトリック勲章あしらわれた赤い斜め十字サルタイアー)は、アイルランド定住したノルマン貴族フィッツジェラルド家紋章から採られた。この赤い斜め十字ノルマン起源なら、ノルマンディー沖のジャージー島の赤い斜め十字同一起源可能性があるが、この説を支持する証拠非常に少ない一般的にはジャージーの旗起源について次のような俗説がある。イギリスフランス戦争をしていた頃、ジャージー島チャネル諸島の他の島々同様、教皇詔書によって中立であることを認められていた。ジャージー島民はこの中立を利用し英仏両方自由に貿易することができたが、イギリスの船ではないことを示す必要に迫られそれまで掲げていた聖ジョージ十字ひっくり返して斜めにした旗を作ったという。 20世紀後半ジャージー島タックス・ヘイヴンなどで栄え国際舞台高い評価を受けるようになると、ジャージー島民の間では、自分たちの旗が余りにもアイルランド聖パトリック旗似ているために見分けがつかず、また国際信号旗の「V」の旗とも同じデザインであるため、島を代表するシンボルとしては弱いという見方広がった。しかし一方で長い伝統を持つ赤い斜め十字の旗に誇りを持つべきという意見もあった。また島の紋章使われている三匹のヒョウあしらった旗を制定しようという運動行われた現在の旗は、この三者意見妥協により成立したと見ることもできる。 この旗がジャージーでは掲揚されているものの、三匹のヒョウの方が政府民間ではジャージー象徴としてより多く使われている。 政府旗 商船旗(2010年以降ジャージー総督旗 2010年まで商船旗 ? ? ジャージー島1981年以前の旗

※この「ジャージー島の旗の沿革」の解説は、「ジャージーの旗」の解説の一部です。
「ジャージー島の旗の沿革」を含む「ジャージーの旗」の記事については、「ジャージーの旗」の概要を参照ください。

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