ジャージーシティまでの路線の他社による使用
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「ユナイテッド・ニュージャージー鉄道運河」の記事における「ジャージーシティまでの路線の他社による使用」の解説
初期のニュージャージー鉄道と緊密に結ばれていたのが、後にエリー鉄道の本線となった、パターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道(英語版)であった。パターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道は1833年6月に、ザ・パリセーズより西側でマリオン・ジャンクション(英語版)まで路線を建設し、マリオン・ジャンクションからはハドソン川までの残りの区間をニュージャージー鉄道のバーゲン・ヒル・カットオフを利用することで合意した。パターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道は、ニュージャージー鉄道のどの区間の開通よりも早く、1833年11月29日に開通し、当面はニューアーク・ターンパイクを走る駅馬車でハドソン川へ連絡していた。線路使用権の契約が1834年10月10日に結ばれ、パターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道のジャージーシティまでの運行は10月20日に開始された。ロング・ドックトンネル(英語版)が1861年4月15日に開通したことで、当時すでにエリー鉄道の一部となっていたパターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道はハドソン川まで独自の路線を確保した。 ニュージャージー鉄道と同様にかかわりがあったのは、モーリス・アンド・エセックス鉄道、後のデラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道の本線であった。1836年10月21日にニュージャージー鉄道はモーリス・アンド・エセックス鉄道の旅客・貨物をニューアークとジャージーシティの間で輸送することに合意し、11月19日に開始された。ニュージャージー鉄道のハリソンで合流する新しい路線は1854年8月5日に開通した。1863年10月14日に、モーリス・アンド・エセックス鉄道はロング・ドックトンネルの使用を開始した。 セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーもまた、1864年8月1日に自社の路線が開通するまでの間、ニュージャージー鉄道の線路をエリザベスからジャージーシティまで使用していた。
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