シャトー経営の再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 14:39 UTC 版)
「フィリップ・ド・ロチルド」の記事における「シャトー経営の再開」の解説
戦時中亡命したロチルド一族の者はヴィシー政府によってフランス国籍を剥奪され、財産の所有権も無くなり、一方的に略奪された。シャトー・ムートンはシャトー・ラフィットと同じくヴィシー政府農業省に所有されていた(ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥がフランスの有名ワインを個人的支配下に置こうとしていたので、ヴィシー政府としてはできるだけドイツ人の手に落ちないようにとシャトーを直接所有したようである)。しかし戦争が終わるまでにはシャトー・ムートンはすっかり荒廃してしまった。 フランスを解放したド・ゴール臨時政府はただちにユダヤ人のフランス市民権を回復し、ユダヤ人が不当に奪われた財産も全て返還することを宣言した。これによりフィリップもシャトー・ムートンの所有権を取り戻した。 フィリップがシャトー・ムートンへ戻った際、醸造長に貯蔵庫にある苔むした壁に案内された。醸造長は「貴方様がここをお発ちになった時、この壁を作らせたのです。ご主人様、貴方様の最高級のワインはこの壁の向こうにございます。ゲーリングに奪われてなるものかと思って隠したのでございます」と述べ、壁の向こうに隠してあるシャトー・ムートンの極上物をフィリップに披露したという。 事業を再開し始めた当初は資金がなかったため、厳しい状態が続いたが、ロチルドの名の信用のおかげで融資を受けられ、再建を軌道に乗せることができた。1947年には父アンリが死去し、兄姉とともにシャトー・ムートンの所有権を得たが、兄も姉もシャトー・ムートンに関心を持っていたなかったので二人の所有権はフィリップが買い取ることになった。 事業再開とともに以前やっていたラベルに画家の絵を描くアイデアを再度採用した。さらに年ごとにラベルのデザインを変えることにした。ピカソ、ダリ、ミロ、シャガールなどの画家がムートンのラベルを描いた。 戦後もフィリップはシャトー・ムートンの格付けを1級に上げるためにあらゆる手を尽くしたが、エリー・ド・ロチルド(フランス語版)が所有するラフィットをはじめとする既存の4つの1級シャトーから締め出しを食らった。しかしロチルド家に近いジョルジュ・ポンピドゥーが大統領となった1969年から徐々に情勢は動き出し、他の1級シャトーも妥協していき、ついに1973年に農業相ジャック・シラク(後のフランス大統領)によってシャトー・ムートンが第1級シャトーに格上げされた。シャトー・ムートンではこれを盛大に祝い、フィリップは1973年ヴィンテージのラベルに「われ1級なり、かつて2級なりき、されどムートンは変わらず」と刻ませた。 1988年に死去し、シャトー・ムートンは娘フィリピーヌに受け継がれた。
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