シャトー経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 14:39 UTC 版)
「フィリップ・ド・ロチルド」の記事における「シャトー経営」の解説
しかし訪問を続けるうちにフィリップはシャトーが荒廃し始めていることに気付き、脚本を書くのに熱中してシャトーを気にかけない父アンリにシャトー救済の必要性を訴えた。父が調べたところ、シャトーは多額の借金を抱えており、祖母の不在と管理の杜撰さに付け込む従業員たちの横領が発覚。アンリは改善のためフィリップに経営を任せることにした。フィリップはこれに大喜びしたという。 1922年にメドックに着任したフィリップは、横領している従業員たちを罰しなかった。原因は管理を怠った自分たちにあり、過去よりも将来の発展のことを考えたかったためだった。一方従業員たちはこれまで好き勝手やってこれたのにロチルド家の者が直接やって来て口うるさく監督するようになったことが面白くなかった。しかしフィリップは彼らと意見交換していくことで少しずつ信頼を勝ち得ていった。 フィリップはボルドーの酒商にワイン樽を渡し、熟成と瓶詰め作業を委託するという慣習に不満を抱いていた。そのため資本をかけてでもシャトーで瓶詰めまで行う元詰め方式に変更させた。このおかげで独自の味を確立しやすくなり、売り上げは徐々に伸びていった。さらにラベルに有名な画家の絵を付けることを思い付き、友人だったキュービズム派の画家ジャン・カルリュにデザインを頼んだ。しかし他のワイン商の反発を買い、この時には中止を余儀なくされている。 シャトー・ムートンは1855年のボルドーワインの格付けで2級とされていたが、フィリップはこの格付けは不当と考え、ライバルでパリ・ロチルド本家が所有するラフィットと同じ1級に昇格させることを夢見ていた。そのため、ムートンと既存の1級シャトー(ラフィット、マルゴー、ラトゥール、オー・ブリオン)の会合(1級ワイン協会)の設置を主導したが、格付け既得権の壁は厚く、ムートンの1級への昇格は当面認められそうになかった 1930年代には悪天候のためにブドウが熟成されず、シャトー・ムートンを名乗れない低品質のワインが多くなった。処分に困ったフィリップはこれをムートンのセカンドラベル「ムートン・カデ(フランス語版)」と名付け、ファーストラベルとはデザインを変えて安価で販売した。このムートン・カデは大成功を収めた。これは悪天候でなければ生産できないので、他からブドウを買い付けて安定供給を図った。カデのおかげでシャトー・ムートンは不作であった1930年代を黒字でやっていくことができた。カデは今日のフランスでも最もよく飲まれているワインのひとつである。
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