サンタクララ大学
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「スティーブ・ナッシュ」の記事における「サンタクララ大学」の解説
高校のコーチは30のアメリカの大学にナッシュの推薦状を送ったが、カナダの片田舎のバスケ少年に興味を示す大学はなく、殆どが無視された。しかしサンタクララ大学のディック・デイヴィが興味を示した。ナッシュのプレイを間近で見て、他の誰もが彼に注目しないことをひたすら願ったという(そのデイヴィの目にすらも、ナッシュのディフェンスは最悪だったらしい)。その後ナッシュは無事サンタクララ大学からの奨学金を貰い、大学進学が決まった。 ナッシュは1年目から活躍し、1992-93シーズンにはチームを5年ぶりのNCAAトーナメントに導き、西地区トーナメント1回戦では第2シードのアリゾナ大学を破るという波乱を巻き起こしている。この試合でナッシュは最後の30秒間で6本のフリースロー全てを決める活躍を見せた。翌シーズンのサンタクララ大は成績が振るわなかったが、1994-95シーズンにはカンファレンスタイトルを獲得してNCAAトーナメントに復帰し、ナッシュはカンファレンスの最優秀選手に選ばれている。夏にはナショナルチームに参加し、NBAの現役スター、ゲイリー・ペイトンとジェイソン・キッドと練習する機会に恵まれている。 1995-96シーズンは2年連続でカンファレンスを制し、ナッシュも2年連続の最優秀選手に選ばれた。大学での4年間のプレイで通算510アシスト、フリースロー成功率86.2%、スリーポイントシュート試投数656本、成功数263本はいずれも同校の新記録となった。2006年にはナッシュの背番号『11』が同校初となる永久欠番となった。学業では社会学の学位を取得している。
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サンタクララ大学
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「スティーブ・サンプソン」の記事における「サンタクララ大学」の解説
1985年のシーズンが終わり、サンタクララ大学が彼をUCLAから引き抜き、監督とした。1989年、NCAAサッカー選手権での優勝に導くという大学サッカーにおいての偉業を達成した。皮肉なことに、サンタクララ大学の決勝の相手、バージニア大学を指揮していたのは、後にアメリカ代表チームを率いた時の後任監督となる、ブルース・アリーナだった。サンタクララ大学とバージニア大学はレギュラーシーズンのみならず、NCAA規定で延長戦を終えるまで戦ったこと4度、両チームの選手、監督のフラストレーションが溜まりに溜まった末、両校優勝に収まった。サンタクララを去った1989年、64勝19分19敗の功績を残し、NCAAサッカー監督賞を受賞した。
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