サロモン・バス(SalomonBass,生年不明-没年不明)
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「ブルウル兄弟商会」の記事における「サロモン・バス(SalomonBass,生年不明-没年不明)」の解説
ダビッドとモーゼスのブルウル兄弟が引退した後、ポールとアンリのブルウル兄弟とともに事業を引き継ぎ、ニューヨーク支店を受け持った。 サミュエル・ソンドハイム(Samuel "Sam" Sondheim, 1850年7月30日 - 1899年11月) 少年の頃からニューヨークの宝石取引の仕事に携わり、ダビッド・ブルウルに使いっぱしりの小僧として雇われる。その後数年の内に宝石販売を任されるようになる。 サンフランシスコ支店に移り、その後、横浜支店設立に際して日本に移る。1888年に商会がポールとアンリの兄弟に引き継がれた後も商会に残り、引き続き日本を受け持った。 1892年に横浜から米国に戻り、1893年に商会を去る。 その後、ニューヨークでダイヤモンド商人となるが、5年後の1899年にニューヨークの自宅でガス自殺した。 ルートヴィヒ・リリエンタール(Ludwig Lilienthal, 生年不明 - 没年不明) 1869年頃からブルウル商会で働き始め、1894年時点で米国の支配人をしている。 アーサー・ヘニウス(Arthur Henius, 生年不明 - 没年不明) ブルウル商会のニューヨーク支店の支配人。 後にニューヨークの支店名は"Bruhl Bros. & Henius Co."に変わる。 ドリス・サンダース(Doris Sanders, 生年不明 - 没年不明) 1894年11月5日にポール、アンリのブルウル兄弟とニュージャージー州ニューアークでダイヤモンド加工会社(Sanders & Bruhl Mfg. Co.)を設立する。 矢島芳之助(生年不明 - 没年不明) 商会の日本人番頭。 林平太郎(1872年4月19日 - 1927年4月20日) 商会の技師。後に「日本最初の自動車技師」として知られることになる。 1902年、高知県師範学校を退職した後、ブルウル兄弟商会に転職した。ブルウル兄弟商会から蒸気自動車ナイアガラを購入した松井民治郎はモーター商会を設立するが、自動車の知識がなかった松井は林を譲るようアベンハイムに頼み込み、林を技師兼販売主任としてモーター商会に引き抜いた。 八軒広吉(生年不明 - 没年不明) 商会の技師。本名は「三浦広吉」だが、なぜか「八軒」の姓で知られていた。 自動車技師としての腕は確かで、ルドルフ・エミル・アベンハイムとともに神戸に移り、以降は「東京の林平太郎か神戸の八軒広吉か」と並び評されるようになる。
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