サハラの気候変動と人間の移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 09:06 UTC 版)
「北アフリカの先史時代」の記事における「サハラの気候変動と人間の移動」の解説
詳細は「後期旧石器時代」、「中石器時代」、および「カプサ文化」を参照 北アフリカの人類は、サハラ砂漠の気候に大きな影響を受けており、過去数十万年の間に雨の多い時期と少ない時期との間で大きな変動があった。これは、地軸の傾きが22°から24.5°の間で変化する41000年の軸傾(赤道傾斜角の変動)サイクルによるものである。現在(西暦2000年)は乾期だが、15000年後(西暦17000年)にはサハラ砂漠が再び緑になるとの予想がある。 最終氷期には、サハラは現在よりもはるかに大きく、現在の境界よりも更に南まで伸びていた。氷河期の終わった紀元前8000年頃からの2000年間は、崩壊しつつあった北側の氷床の上に低気圧が発生したために比較的多くの雨が降ったと考えられる。氷床がなくなると、北にあったサハラは乾燥し、砂漠と化した。サハラ南部では、当初はモンスーンによって乾燥傾向が打ち消されることで、現在よりも北の地域で雨が降った。しかし、紀元前4200年ごろまでには、モンスーンが現在の位置まで南下し、サハラは徐々に砂漠化していったという。現在、サハラは約1万3千年前と同じ程度の乾燥をしている。 このような北アフリカ一帯の気候と人類を含めた動物の移動との関係を考える上で、サハラ・ポンプ説(Sahara pump theory)と呼ばれる仮説が存在する。これによると、湿潤な時期のサハラは、サバンナの草原となり、多様な動植物が生息するようになる。しかし、乾燥化が進むと、サハラも砂漠化し、動植物は北のアトラス山脈、南の西アフリカ、あるいは東のナイル川流域へ、ポンプのように押し出されることとなる。人類の進化の観点から、サハラ・ポンプ仮説はアフリカからの人類の移住(「出アフリカ」)の以下の4つの年代測定に使用されてきた。 ホモ・エレクトス(ホモ・エルガステル)の東南アジア・東アジアへの移動 ホモ・ハイデルベルゲンシスの中東・西欧への移動 ホモ・サピエンス・サピエンスによる「アフリカ単一起源」 アフロ・アジア語族の普及(北アフリカのベルベル語とエジプト語、アラビア半島と中東のセム語)。
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