サイエンス・シアター運動
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「仮説実験授業」の記事における「サイエンス・シアター運動」の解説
板倉は1994年に「サイエンス・シアター運動の構想」を発表した。板倉は「スポーツ、音楽、絵画、旅行……その楽しみのために高いお金をかける人も珍しくありません。それなのになぜ日本には「科学を楽しむ」という習慣がないのでしょうか。」と、イギリスの近代科学の伝統に立ち返って、科学を楽しむ活動の必要性を主張した。板倉は19世紀にマイケル・ファラデーがイギリスの王認研究所で行っていたクリスマス講演のような、誰でも科学をエンターテイメントとして楽しめる舞台公演を構想した。板倉は「仮説実験授業の構想を英国のクリスマス講演と結合すれば、もっともっと楽しい科学を効果的に普及しうる」と考えた。 板倉の構想に基づき、仮説実験授業研究会の有志が集まって教材開発とシナリオ作りが行われ、1995年4月8日と9日に早稲田大学国際会議場で第一回サイエンス・シアター「電磁波をさぐる ―電波と光の世界」が行われた。参加者には豪華な「実験セット」も配られ、親子で楽しむ科学公演が実現した。サイエンス・シアターはその後2000年まで各地で7回行われた。これらのシアターの成果は「サイエンスシアターシリーズ」として仮説社から刊行されている。板倉のシアター運動は2005年に宮地祐司らによって設立されたNPO法人楽知ん研究所(らくちんけんきゅうじょ)が引き継いだ。楽知ん研究所は1700年代の欧米での科学実験講座や巡回講座の楽しい科学の伝統に立ち返り、各地で「〈大道仮説実験〉講座」を行っている。
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