板倉研究室時代
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1994年に国立教育研究所を定年退職し、同所名誉所員に就任(後に組織再編に伴い国立教育政策研究所名誉所員)。(私立)板倉研究室を設立し、代表として活動を開始する。1994年にサイエンス・シアター運動を提案し、2000年代に運動を展開。科学をエンターテイメントとして楽しむ18-19世紀の近代イギリス科学の伝統を日本にも作ろうとした。 2007年には一度脳梗塞で入院している。2011年には日本教育心理学会の大会で特別講演も務めた。2013年から2016年まで日本科学史学会会長に就任し、科学史研究の裾野を広げるための講演会などを開いたが、2016年に脳梗塞で倒れたあとは入退院を繰り返し、2018年2月7日に老衰で死去した。満87歳。 2018年2月16日産経ニュースの「産経抄」は「残念ながら教育にはノーベル賞がない」というタイトルで板倉を追悼し、同年に発行された『たのしい授業』3月号・4月号では追悼特集が組まれた。なお、没後の2019年には板倉の英訳論文精選集『Hypothesis-experiment class (Kasetsu)』が出版されている。
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