コンピューターサイエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 08:42 UTC 版)
「心の哲学」の記事における「コンピューターサイエンス」の解説
コンピューターサイエンスは、コンピュータのような手段を使った、自動的な情報処理に関心を持っている。少なくとも情報が代入された記号を処理する物理的システムに、関心を持っている。当初から、プログラマーは、有機体ならば「心」を必要とするような作業を、コンピュータが実行できるようにするプログラムを開発することができた。簡単な例で言えば、かけ算がそうである。しかしコンピュータが心を用いてかけ算している訳でないのは明らかである。いつか、そうしたことができるようになったとしても、我々はそれを心と呼ぶだろうか?この問いは、 人工知能の研究のおかげで、多くの哲学的議論の前線で行われている。 人工知能(AI:artificial intelligence)の分野では、控えめな研究プログラムとより野心的な研究プログラムを区別するのが普通である。この区別はジョン・サール が強いAIと弱いAIという用語を用いて行ったものである。弱いAIの目的は、サールによれば、コンピュータが意識を持つことを試みるのではなく、ただ心的状態のシミュレーションに成功することである。強いAIの目的は、これとは逆に、人が持っているような意識をもつコンピュータを生み出すことである。強いAIの研究プログラムは、計算機理論のパイオニアの一人であるアラン・チューリングにまで遡る。「コンピュータは考えることができるか?」という問いへのひとつの答えとして、チューリングは有名なチューリング・テストを定式化した。チューリングの考えでは、一つの部屋にコンピュータが、となりの部屋に人間が入っていて、外からコンピュータと人間の両方に同じ質問をする。第3者がコンピュータと人間の両者を区別できない時には、コンピュータは「考える」のだといってよい。本質的に、チューリングの機械の知能についての考え方は、心の行動主義モデルを継承している。そこでは知性があるとは、知性が行うように振る舞うことなのだ。チューリング・テストは多くの批判を受けてきた。その中で最も有名なものはおそらく、サールによって定式化された 中国語の部屋 という思考実験 である。 コンピュータやロボットが感覚質(クオリア)を持つことができるかどうかという問題は、いまだ手づかずのままである。人工知能の特殊性は「心身問題」を解くことに新たな貢献をすることができると信じるコンピューター科学者もいる。彼らは、すべてのコンピュータにおいて働いているソフトウェアとハードウェアの相互影響に基づいて、心と脳(ウェットウェア)の相互影響を理解するのに助けとなる理論がいつの日か発見されるだろうと言っている。
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