ケルゼンの自然法論批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 15:51 UTC 版)
ハンス・ケルゼンは、自然法と実定法との差異を2つ挙げる。ひとつは、自然法が実質的妥当原則に服するのに対して、実定法は形式的妥当原則に服するということである。自然法とは、神、自然または理性に由来するがゆえに、善であり、正しくかつ正義であるが、これに対して、実定法は人間の意思によって定立され、それらゆえに価値のある実定法も反価値的な実定法も存在しえる。つまり、自然法も実定法も規範なのだが、自然法における当為は絶対的な当為であり、実定法のそれは相対的な当為である。もうひとつは、自然法の諸規範は神、自然または理性に由来するので、それを実現するための人為的な強制手段を必要としないが、これに対して、実定法は何らかの人為的な強制手段に頼らざるをえないということである。したがって、強制可能な法について語る学問は全て実定法に関する法実証主義的な学問であり、反対に自然法論は、前述のような自然法の観念を純粋に維持するかぎりにおいて、強制機関を持たない観念的な無政府主義に陥る。このような差異は、実証主義-相対主義、自然法論-絶対主義という構図に帰着する。 かくして、自然法と実定法との間にはこのような架橋し難い溝が存在しているので、自然法によって実定法秩序を基礎付けようとすることは不可能である。自然法が実定法に授権しえるとすれば、「自然法が実定法に対して自己に代わるべきことを授権していることを意味する」。なぜなら、自然法と実定法は、妥当根拠の異なる2つの規範体系であり、論理的に併存不可能だからである。 「自然的」秩序の妥当が主張されるなら、それと並んで同時に同一の妥当規則をもつ実定的秩序を仮定することはできない。実定的秩序を他から導き出すことのできない、したがってまた、より上位の秩序によって正当づけることのできない最高の規範とする徹底した実証主義の立場からは、自然法の妥当は承認できないように、この自然法の立場からいっても、-自然法がその純粋な観念に適合して示されるかぎり-実定法の妥当する余地はまったくない。自然法と並んで実定法が存在するなど、論理的にはもってのほかである。 — ケルゼン『自然法論と法実証主義』
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