ケルソネソスにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 09:46 UTC 版)
小アジアでの勝利の後、キモンはトラキアのケルソネソスに移った。そこで土着の諸民族を征服し、紀元前465年から紀元前463年にかけてトラキア人と戦った。紀元前465年にタソス人がトラキアの鉱山をめぐる紛争からアテナイに対して反乱を起こした際、キモン率いるアテナイ艦隊がタソス艦隊を破って上陸した後、キモンはタソス市を包囲した。タソス人はスパルタに助けを求めたが、地震によって成らなかった。これらの成功にもかかわらずかその故と言うべきか、紀元前463年にキモンはペリクレスらによって、この時マケドニアに侵攻すれば容易くできたにもかかわらずにそれをせず、マケドニア王アレクサンドロス1世から賄賂を受け取ったとして告訴された。しかし、ペリクレスへのエルピニケの口ぞえもあってかキモンは無罪を勝ち取った。
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