ケニアと『サージェント・ペパーズ』
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「マル・エヴァンズ」の記事における「ケニアと『サージェント・ペパーズ』」の解説
ビートルズのツアー公演は、1966年8月29日に行われたサンフランシスコのキャンドルスティック・パーク公演が最後となったが、その後もエヴァンズはスタジオでビートルズの助手を続けた。同年発表されたアルバム、『リボルバー』のレコーディングの後、マッカートニーは休暇でフランスに一人で行ったが、エヴァンズとボルドーの教会前で待ち合わせすることにした。約束の時間1時きっかりにマッカートニーが到着した時には、エヴァンズは教会の時計の下で既に立って待っていた。それから2人は一緒に車でマドリード に向かったが、退屈だったためにマッカートニーがロンドンのエプスタインの事務所に電話して、ケニアでのサファリの休暇の手配を依頼した。ケニアに到着した2人はキリマンジャロの麓のアンボセリ国立公園を訪れ、客室が木の梢の上にあるツリートップス・ホテル(英語版)を借り切って滞在した。ロンドンに帰る前日の最後の夜は、ナイロビのYMCAで過ごした。 マッカートニーによれば、その頃ビートルズは新しい名称を必要としていて、2人はロンドンへ帰る飛行機の中で、何か新しい名前を考え付くように言葉遊びをしていた。エヴァンズは無邪気にも、機内食のトレーの上に載っている調味料入れのてっぺんに記されている"S" と "P" の文字が何を意味するのか、マッカートニーに尋ねた。それに対しマッカートニーは、「salt and pepper」(salt (塩)の "S" と pepper(胡椒) "P")だと答え、それがアルバムの題名、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の由来となった 。2人は1966年11月19日にロンドンに帰って来た。ポップアーティストのピーター・ブレイク(英語版)による『サージェント・ペパー』のカヴァー写真撮影の時は、エヴァンズとアスピノールがカヴァーに載せる全ての人物の写真を探し出すため、あちこちに送り出された。 アルバムのカヴァーが完成した1967年春、エヴァンズは、マッカートニーがオールド・ヴィック・シアター一座とロスアンゼルスで公演中だった当時の婚約者で女優のジェーン・アッシャーの元を訪れるのに同行した。3人はロッキー山脈に旅行し、フランク・シナトラの自家用ジェットでロスアンゼルスに帰った。エヴァンズは「僕達はデンバーを、フランク・シナトラが親切にも僕達に貸してくれたリアジェットに乗って離れた。黒い革張りの室内装飾が美しいだけでなく、僕達にとって嬉しいことに、飲み物の在庫がたっぷりあるバーが付いていた。」と記している。ロスアンゼルスに戻ると3人は、ママス&パパスのミシェル・フィリップスとジョン・フィリップス夫妻から自宅に招待された。その場にはアルバム『スマイル』を製作中であった、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンも居合わせていた。エヴァンズは、マッカートニー、ウィルソンと一緒に、アメリカ民謡の『オールド・スモーキー山の頂(英語版)』を歌ったことを記しているが、音楽に対するウィルソンの前衛的な姿勢には感心できなかった。「するとブライアンは、全体の自然さに歯止めをかけるように、水で満たされたグラスをトレーに載せて入って来て、何かのセッション用のアレンジにしようとしていた。」
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