グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道の意味・解説 

ノーザン・シティ線

(グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 14:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ノーザン・シティ線
ムーアゲート駅を発車する313形電車
基本情報
イギリス
所在地 グレーター・ロンドン
路線網 ナショナル・レール
起点 フィンズベリー・パーク駅
終点 ムーアゲート駅
駅数 6
所有者 ネットワーク・レール
運営者 グレート・ノーザン
ゴヴィア・テムズリンク・レールウェイ
車両基地 ホーンジー
使用車両 313形電車
路線諸元
軌間 1,435 mm (標準軌)
線路数 複線
電化方式 交流25 kV(50 Hz架空電車線方式
(ドレイトン・パーク以北)
直流750 V第三軌条方式
(ドレイトン・パーク以南)
車両限界 W6[1]
テンプレートを表示
ノーザン・シティ線
LNER ミューゼル・ヒル支線
(転換途上で廃線)
イースト・コースト本線英語版
フィンズベリー・パーク
ホロウェイ分岐点
ドレイトン・パーク英語版
キングス・クロス
ノース・ロンドン線英語版
ハイベリー・アンド・イズリントン英語版
ヴィクトリア線
エセックス・ロード英語版
オールド・ストリート
テムズリンク英語版 (2009年3月廃止)
ムーアゲート
ロズベリー英語版
(建設認可を得るも工事が
行われなかった区間)

ノーザン・シティ線(ノーザン・シティせん、英語:Northern City Line)は、ロンドン市内のムーアゲートフィンズベリー・パーク英語版を結ぶ鉄道路線である。ムーアゲートとドレイトン・パーク英語版の間は地下を走り、ドレイトン・パークからフィンズベリー・パークの南でイースト・コースト本線英語版に合流する地点までは切取の中を走る。グレート・ノーザン・ルート英語版の一部として、ロンドン北部近郊からイギリスの主要な金融街であるシティ・オブ・ロンドン(シティ)への輸送を担い、平日は22時ごろまで列車が運行されるが、休日はシティにある会社の多くが休みとなるため、ノーザン・シティ線には列車が走らず、ロンドン北部からグレート・ノーザン・ルートを通ってきた列車はすべてキングス・クロスに入る[2]

ノーザン・シティ線はかつてはロンドン地下鉄であり、メトロポリタン又はノーザン英語版の一部として扱われてきたが、どちらの路線とも線路が接続していたことはない。1976年イギリス国鉄に譲渡され、民営化後はネットワーク・レールが保有するナショナル・レールの一部となっている。ゴヴィア・テムズリンク・レールウェイによって「グレート・ノーザン」ブランドの列車が運行[注釈 1]されており、ムーアゲートからフィンズベリー・パークを経由してウェリン・ガーデン・シティ英語版ハートフォード・ノース英語版レッチワース・ガーデン・シティ英語版に直通する。

この路線の名前は何回か変更されているため、本文中では特に必要がない限り1976年以降の呼称である「ノーザン・シティ線」を使用する。

歴史

ノーザン・シティ線はグレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道(英語:Great Northern & City Railway、GNCR)が計画し、認可を受けたグレート・ノーザン鉄道フィンズベリー・パーク英語版から分岐してシティ・オブ・ロンドンムーアゲートを結ぶ路線を起源とする。当時ロンドン市内各地で建設されていた地下鉄路線と同様、シールド工法によって建設されたが、セントラル・ロンドン鉄道など他の路線が内径12フィート (3.7 m)のトンネルを採用した一方、グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道は本線鉄道の標準車両が通過できるよう内径16フィート (4.9 m)のトンネルを採用している。1904年、グレート・ノーザン鉄道のフィンズベリー・パーク駅の地下に新設した駅を北の起点にグレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道が開業したが、グレート・ノーザン鉄道はグレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道経由でシティに乗り入れる計画に難色を示すようになり、自社路線の電化計画も撤回したため、開業した路線は他の路線と線路がつながらない孤立した路線となった。グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道の電化方式は他の地下鉄路線とは異なり、走行用レールの外側にプラス 420 V、2本の走行用軌道の中央にマイナス210 Vが印加された給電用レールを配置するものとなった[注釈 2][3]

グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道は1913年メトロポリタン鉄道[注釈 3]に買収され、サークル線英語版ウォータールー&シティー線英語版と接続することが計画されたが、実現しなかった[3]。グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道だった路線は他の地下鉄路線と直通運転をしない孤立した路線として残され、車両はドレイトン・パーク駅に設けられた車両基地で保守され、同駅近くの貨物駅を通じて他の路線の車両との入れ替えが行われていた。

グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道の発電所はメトロポリタン鉄道への買収の際に廃止され、建物はゲインズボロ・ピクチャーズ英語版のスタジオに転用された。その後長期間未利用で放置されていたが、短期間アルメイダ・シアター英語版として利用された後解体され、集合住宅となっている。

1933年にメトロポリタン鉄道が他のロンドン市内の公共交通機関運営会社と共にロンドン旅客運輸公社に吸収されると、ノーザン・シティ線はエッジウェア - モーデン線の一部になり、1937年以降は路線の改名によりノーザン線の一部となった。公社が1935年に発表したニュー・ワークス・プログラム英語版の一環であるノーザン・ハイト計画英語版によって、ノーザン・シティ線はロンドン旅客運輸公社に吸収され、電化が計画されていたもとエッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道の路線であるアレクサンドラ・パレス英語版ハイ・バーネット英語版エッジウェア英語版への支線とフィンズベリー・パークで接続することとされた。アーチウェイから同じく公社に吸収されていたもとチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の路線を延伸して、ハイゲートの北でもとエッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道の路線と接続することも併せて計画された。ノーザン・ハイト計画の一部が行われた時点で第二次世界大戦が勃発し、ハイゲートまでの路線の電化は実現したが、ノーザン・シティ線をハイゲートまで延伸してノーザン線に接続する工事は延期され、戦後に中止されている。

1930年代のノーザン・ハイト計画を示す図。ノーザン・シティ線はアレクサンドラ・パレス、ブシー・ヒース、ハイ・バーネットに伸びることになっていた。緑の実線で描かれた路線はもとエッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道の路線で、ロンドン地下鉄に編入され、現存するものを示している。ハイゲートからフィンズベリー・パークへの路線はこの時点で存在していたが、ロンドン地下鉄には編入されないまま、1954年に旅客営業が廃止されている。ノーザン・シティ線の車両のハイゲート車両基地への入出庫に使用された後、1970年に廃止された。

戦後、ノーザン・シティ線を南と北の双方に延伸する計画がたてられた。1949年にまとめられた提言には新路線の建設と既存線の電化が盛り込まれ、AからMの計画名がつけられていた。優先度が低い路線として提言されたJ計画にこの路線を南のウーリッジまでの延伸が、K計画に同じく南の水晶宮までの延伸が盛り込まれた一方、北側ではノーザン・ハイト計画を再開してエッジウェア、アレクサンドラ・パレスへ延伸することが提言された。この計画では、ムーアゲートから南、バンクロンドン・ブリッジまでの区間は断面の小さな既存のトンネルを経由するものとされた[4]。K計画の路線はペックハム英語版の下を通ってペックハム・ライ英語版にいたり、ロードシップ・レーン英語版付近で1949年当時はまだ運行されていた, 水晶宮線に接続するものとされた。この提言に盛り込まれた路線で実現したものはなく、エッジウェア、アレクサンドラ・パレス、水晶宮への路線は1954年に旅客営業が廃止されたため、ノーザン・シティ線は孤立した路線のままで残ることになった。

フィンズベリー・パーク - ドレイトン・パーク間は1964年ヴィクトリア線英語版フィンズベリー・パーク英語版のホームを明け渡すために廃止された。フィンズベリー・パークのピカデリー線英語版ホームは改修され、ピカデリー線とヴィクトリア線の北行列車が使用するよう、ノーザン・シティ線のホームはピカデリー線とヴィクトリア線の南行列車が使用するよう変更された。ハイベリー・アンド・イズリントン駅英語版のホームも同時に改修され、ノーザン・シティ線の北行列車は新設されたヴィクトリア線の北行ホームの向かいのホームを使用、ノーザン・シティ線の南行列車は従来のホームを使用するものの、ノーザン・シティ線の北行列車が使っていたホームをヴィクトリア線の南行列車が使用するよう変更されたため、両方向ともヴィクトリア線と対面乗換が出来るようになった。ムーアゲートからフィンズベリー・パークに向かう乗客は、ハイベリー・アンド・イズリントンで対面乗換とはいえ、ヴィクトリア線に乗り換える必要が発生した。

1970年にこの路線は「ノーザン線(ハイベリー支線)」に改名されたが、同じころにイギリス国鉄に編入、イースト・コースト本線の強化策の一環としてフィンズベリー・パークの地上ホームでイースト・コースト本線と接続する合意がなされた。この計画により、ノーザン・シティ線は構想から70年を経て当初計画通りの姿になることとなった。キングス・クロスの混雑緩和のため、通勤列車の一部がノーザン・シティ線を経由してムーアゲートに向かうこととされた。

ロンドン地下鉄としての運行は1975年10月で終了し、イギリス国鉄の一路線として1976年8月に運行を再開、ノース・ロンドン線英語版シティ支線英語版経由ブロード・ストリート英語版行きの列車がノーザン・シティ線経由に変更され、イースト・コースト本線からノーザン・シティ線に直通する列車には「グレート・ノーザン・ルート英語版」の通称がつけられた。1994年、イギリス国鉄の民営化により路線はレールトラックの所有に移り、2002年からは経営形態の変更によりナショナル・レールが所有している。2014年からはゴヴィア・テムズリンク・レールウェイが「グレート・ノーザン」のブランド名でウェリン・ガーデン・シティ英語版ハートフォード環状線英語版ハートフォード・ノース駅英語版までの列車を運行している。これらの一部にはハートフォード・ノースを越えてスティーヴネージ英語版ヒッチン英語版レチワース英語版までの列車もある。「ノーザン・シティ線」の呼称はこの路線の地下を走る区間の名前として使われる。

事故

ムーアゲート事故

1975年2月28日にムーアゲート駅の車止めを列車が突破し、壁に激突する事故が発生し、43人が死亡、74人が負傷した。ムーアゲート事故英語版と呼ばれるこの事故の原因は、事故を起こした車両(ロンドン地下鉄1938形電車英語版)に原因が発見されなかったことから運転士の操作ミスとされているが、不詳である。

トンネル貫通事故

2013年3月8日、オールド・ストリート駅エセックス・ロード駅英語版の間、ハックニー区イースト・ロードのトンネル上13メートルの場所で杭打ち工事を行っていたところ、トンネルに杭が貫通し、列車の運行に支障する事態となった。トンネルの異常に気付いた運転士の機転によって列車に被害が及ぶことは避けられたが、復旧までの数日間列車が運休した。鉄道事故調査部会英語版による調査により、ネットワーク・レールによるインフラの保全不足、工事請負業者の注意不足、地元自治体の確認不足が原因であると断定された[5]

現在の運行車両

フィンズベリー・パーク駅 - ドレイトン・パーク駅の間は交流25 kV(50 Hz架空電車線方式、地下区間であるドレイトン・パーク駅 - ムーアゲート駅間は直流750 V第三軌条方式電化英語版されているため、両方の電化方式の区間を直通できる313形電車及び717形電車が使用されている。単線の地下トンネルを運行する列車には列車両端に非常用脱出口を設ける必要があることに加え、直通750 Vの区間で運転される列車の電動車は電気的に分離することが求められ、電動車間に高圧引き通し線を設けることが出来ないなどの規定がある。ノーザン・シティ線で運行される313形電車はロンドン側にBエンドの制御電動車が連結され、直流区間での最高速度が時速30マイル(約48 km/h)に制限されている[6]。313形は2019年夏までに717形へ置き換えられる予定である。

輸送実績

2002年4月から2013年3月までの各年の各駅の利用人員は下表のとおり。いずれの年も4月に始まり、3月に終わる12カ月を1年としている。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ イギリス国鉄が分割民営化されて以降、路線は上下分離方式で運営されており、ネットワーク・レールという配当金を目的としない保証有限責任会社が所有する線路の上を、鉄道運営会社(フランチャイズ)の列車が走る。同じ区間に複数の会社の列車が走ることもある。
  2. ^ ロンドン地下鉄各路線では2本の走行用軌道の中央にマイナス210 V、走行用軌道の外側にプラス 420 Vを印加する4線軌条式、直流630 Vが採用されており、開業時のノーザン・シティ線とはプラスマイナスが逆である。
  3. ^ メトロポリタン線ハマースミス&シティー線英語版イーストロンドン線英語版の母体となった会社である。

脚注

  1. ^ Network Rail: RUS, ECML (pdf)”. p. 57. 2011年2月19日閲覧。
  2. ^ Great Northern route map”. National Rail. 2015年1月2日閲覧。
  3. ^ a b Northern line”. Clive's UndergrounD Line Guides (2012年3月3日). 2012年3月9日閲覧。
  4. ^ J. Glover, "London's Underground", 7th edition, Shepperton, Ian Allan, 1991, p.61.
  5. ^ Penetration and obstruction of a tunnel between Old Street and Essex Road stations, London. Report name: 0213_R032014_Old_Street”. Rail Accident Investigation Branch (2013年3月8日). 2015年5月17日閲覧。
  6. ^ ネットワーク・レール セクショナル・アペンディクス英語版、ロンドン北東地区
  7. ^ Office of Rail Regulation statistics”. 2015年5月12日閲覧。

参考文献

  • Bruce, J. Graeme (1976). The Big Tube: A short illustrated history of London's Great Northern & City Railway. London: London Transport. ISBN 0-85329-071-7 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道」の関連用語

グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グレート・ノーザン・アンド・シティー鉄道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのノーザン・シティ線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS