深い地下のホーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:46 UTC 版)
ノーザン線のホームは、1900年2月にシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(C&SLR) により、「ムーアゲート・ストリート (Moorgate Street) 駅」として、テムズ川の南のストックウェル駅(英語版)から路線の北の終点として開業した。この路線は翌年さらに北のエンジェル駅へと延伸された。初代のC&SLRの駅舎はムーアゲートの西側に残り、駅の上のオフィスはこの鉄道の本部として建設された。これらの列車は現在の7・8番線に発着する。 このホームのすぐ上にはナショナル・レールノーザン・シティ線ホームの9・10番線があり、現在はゴヴィア・テムズリンク・レールウェイにより「グレート・ノーザン」ブランドで運行されている。 ノーザン・シティ線のホームは、1904年2月にグレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道(GN&CR) がフィンズベリー・パーク駅まで運行するために開業した。GN&CRによる当初の想定は、本線の列車をフィンズベリー・パークのグレート・ノーザン鉄道のホームから直接シティに乗り入れさせることであり、そのためトンネルは本線の列車を収容可能な直径で建設された。 1934年から1975年までは、ノーザン・シティ線は地下鉄ノーザン線のCity or Highbury支線として運行されていた。1975年にノーザン・シティ線がロンドン地下鉄からイギリス国鉄へ移管され、イースト・コースト本線へ直通運転(ムーアゲート駅からワイデンド・ラインズおよびヨーク・ロード・カーブ/ホテル・カーブを経由してイースト・コースト本線の郊外の駅へ運行)が開始された。 1975年2月28日、ノーザン・シティ線の移管直前に、南行きの列車がホームをオーバーランしてトンネルの壁に衝突し、43人の死者が出る、平時では地下鉄の歴史で2番目大きな惨事が起きた。安全性の改良は、それ以来「Moorgate Control」として知られる序論 (introduction) を含んでいる(ムーアゲート事故(英語版)を参照)。 ナショナル・レールの発車案内板では、以前のテムズリンク列車の略号 (the code) はMOGであり、以前のWAGN列車の略号はZMGである。両方がそれぞれの列車の完全な発車案内板を表示する。
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