淮王時代とは? わかりやすく解説

淮王時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:42 UTC 版)

テムル・ブカ (淮王)」の記事における「淮王時代」の解説

至正27年1367年)、朱元璋張士誠打倒して江南平定し大元ウルス情勢はいよいよ悪化した同年テムル・ブカは宣譲王より最高ランクの「淮王」に昇格となり、金印賜り王傅を設置している。至正28年1368年)、国号大明とした朱元璋徐達主将とする北伐軍派遣し大都攻略させようとした。9月8日旧暦閏月26日)、明の北伐軍大都近郊通州まで攻略すると、頼みとするココ・テムル軍隊遠く太原にあって援軍望めず、もはや大都固守することは不可能と見られた。 9月9日旧暦閏月27日)、ウカアト・カアンテムル・ブカ監国に、慶童を中書左丞相任命して大都残留部隊司令官とし、9月10日旧暦閏月28日)にウカアト・カアン大都より逃れて北方向かったウカアト・カアン脱出後、徐達通州守備馬指揮に任せ大都への攻撃開始した東方位置する斉化門を攻略した明軍城内突入しテムル・ブカ大都残留した高官多く殺された。9月14日旧暦では8月2日)、こうして大都陥落しこれを以て明朝は「元朝滅んだ」とした。テムル・ブカ当時モンゴル人としては非常に長命で、大都戦死した時には83であったという。

※この「淮王時代」の解説は、「テムル・ブカ (淮王)」の解説の一部です。
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