グレート・ニタとは? わかりやすく解説

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グレート・ニタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:31 UTC 版)

大仁田厚」の記事における「グレート・ニタ」の解説

レスラーとしての大仁田厚もう一つの顔。グレート・ムタパロディーでもある。漢字表記は「愚礼吐似多」。元々は、FMW旗揚げして間もない1990年に、大仁田アメリカ遠征行った際、現地試合ムタばりの顔面ペイント施し試合行い当時週刊プロレス記事に『グレート・ニタ?』と紹介されたことをきっかけとする。その時は、遠征時だけの限定だと思われており、大仁田自身もこの『グレート・ニタ』に関しては全く語ることはなかったが、1994年ミスター・ポーゴとの抗争において12月1日広島グリーンアリーナ大会で正式にグレート・ニタとしてのデビュー戦を行う(ニタ、ホー・チー・ウィン組対ポーゴ、大矢剛功組)。素顔の時と違い奇声発したり、奇妙な行動などを行い対戦相手困惑させるファイトスタイル用いる。ポーゴの凶器攻撃を受けきった後逆襲転じる試合展開に徹し大仁田ではできない残虐な攻撃仕掛けところに持ち味があった。 大仁田2度目の引退試合先立ち1995年5月1日大阪府立臨海スポーツセンターにおいてニタ引退試合が行われた(ニタ田中正人新山勝利組対ポーゴ、ザ・グラジエーター保坂秀樹組)。試合後、ニタ大阪湾彼方に消え二度と現れないものと思われた。 だが、大仁田現役復帰して新日本プロレス参戦した際、武藤敬司ニタ存在不快感示したのをきっかけに、ニタ本家グレート・ムタとの一騎討ち決定その際ワールドプロレスリング』内では、ニタ消えたとされる大阪南港舞台にした「ニタ復活」の映像放送された。その寸前まで真鍋由アナウンサー対し「お前はグレート・ニタを見たいか!」「ニタ生きている! 今から呼ぶ!」と吼えていた大仁田が、ニタとして大阪湾から現れ真鍋驚愕表情浮かべ顛末は、もはや奇天烈さすら感じさせる映像となった1999年8月28日神宮球場においてムタニタが行われた(「ノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ」)。しかし盛り上がらぬ試合展開のままニタ敗北し試合後「ニタ死んだ」として葬式が行われ、いつの間に現れ大仁田棺桶の前で嗚咽した。 しかしその後2003年WJプロレスへの参戦に伴い、「ニタは今魔界から帰ってきた」というアングルで再び復活させ、5月3日グランキューブ大阪大会で馳浩対戦し国会議員対決果たした結果は「両者反則負け」)。

※この「グレート・ニタ」の解説は、「大仁田厚」の解説の一部です。
「グレート・ニタ」を含む「大仁田厚」の記事については、「大仁田厚」の概要を参照ください。

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