2度目の復活、nWoジャパン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:50 UTC 版)
「武藤敬司」の記事における「2度目の復活、nWoジャパン時代」の解説
同年2月16日に平成維震軍のリーダーとなった越中詩郎に『負けたらムタの維震軍入り』を賭けて2度目の試合を迫られ、無理矢理復活させられる。本人も不本意の復活だっため、試合当日は怒りをあらわにし維震軍ののぼり旗に毒霧を吐くなど暴挙に出た。この試合はムタの勝利で終わったため維震軍入りはしなかった。しかし、同年4月12日の東京ドーム大会で当時nWoジャパンの総帥だった蝶野に勝利。試合後二人は共鳴し、ムタはnWoジャパンに加入した。以後フェイスペイントもnWoロゴをモチーフにした黒いものへ変わり、正規軍や当時柔道選手だった小川直也と対戦。またこの時期、G1にも参戦した。また同年から2000年にかけては蝶野と古巣WCWと新日本プロレスを行き来する形になり、nWo本体とも合流した。しかしその最中、1998年にカブキが引退を表明。これに際し、ムタは「一緒に試合がしたい」という慨のコメントを武藤を通じて発表した。そして8月の新日本プロレス大阪ドーム大会でムタとカブキは「親子」タッグを結成。(この時は赤のペイントで顎に『Goodbye daddy』と書かれていた)後藤達俊、小原道由組と対戦し、勝利。カブキの引退に花を添えた。翌99年には大仁田厚扮する自身の偽者グレート・ニタに不快感を示したことがきっかけで神宮球場を舞台に電流爆破デスマッチルールで一騎打ちした。ニタの武器である鎌を奪い、2度毒霧を吹きかけるなど圧倒的な強さを見せつけ勝利を収めた。
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