2度目の戦争(105年-106年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 07:06 UTC 版)
「ダキア戦争」の記事における「2度目の戦争(105年-106年)」の解説
105年、デケバルスが協約違反を繰り返したことを大義名分として、トラヤヌスはダキアを討つべく再度ダキアへ親征した。 ダキア軍は地の利を活かし抵抗するが、当初より情勢はローマ軍優位に展開。106年初夏より第2軍団アディトリクス・ピア・フィデスと第4軍団フラウィア・フェリクスを主軍、第6軍団フェッラタを分隊としてダキアの首都サルミゼゲトゥサに対する攻撃を開始。 当初はローマ軍の攻勢をしのいだものの、ローマ軍によるサルミゼゲトゥサに敷かれた水道網の破壊工作が成功したことが契機となり、サルミゼゲトゥサは陥落。デケバルスは首都から逃れたがローマ軍の追撃に遭い、捕虜となるのを拒み自ら命を絶った。
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