グリーンアップ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:42 UTC 版)
「フレデリック・マイヤー (スパイ)」の記事における「グリーンアップ作戦」の解説
第13代中央情報長官ウィリアム・J・ケイシー(英語版)は、グリーンアップ作戦について「バーリから始まった、OSSにおける最も成功した作戦である」と述べた。この作戦は指揮官マイヤー、無線士ワインバーグに加え、オーストリア出身の元ドイツ国防軍将校、フランツ・ヴェーバー(Franz Weber)の3名によって実施された。彼らの使命は、いわゆるアルプス国家要塞のうちオーストリア方面の要塞化状況を調査・偵察することだった。 エージェントらはインスブルックに落下傘降下することとなったが、平地はほとんどが敵の占領下に置かれていた。マイヤーは2つの峰の間に、2月頃に凍結する小さな湖があったことを思い出した。作戦が冬季ということもあり、この特殊な地域への飛行および降下は非常に困難なものとなるとされたが、ビリングス(Billings)というパイロットが志願した。彼は作戦について、「連中がそこに降下するほどいかれているのなら、おれも連中をそこに連れて行くほどいかれてやるよ」と語ったという。1945年2月26日、エージェントらは夜闇に紛れて降下を行った。彼らは高度10,000フィートほどの氷河の尾根に降り立った。共に投下された装備品コンテナは1つを除き全てが発見されたものの、スキー板などは失われたコンテナに格納されていた。そのため、彼らは腰まで雪に埋もれながら山を降りていくこととなった。 その後、エージェントらはヴェーバーの家族のもとへ辿り着いた。彼らの協力を受け、マイヤーはドイツ陸軍将校に扮してインスブルックの将校宿舎に潜入し、実際に数ヶ月間寝泊まりして各種情報の収集を図った。これらの情報はワインバーグの無線によって速やかに報告された。3ヶ月後、マイヤーはさらに活動を継続するため「進撃を続けるソ連赤軍から逃れてきたフランス人電気技師」という新たな身分を詐称することを決めた。
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