グアム島にて戦死扱いにとは? わかりやすく解説

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グアム島にて戦死扱いに

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:20 UTC 版)

横井庄一」の記事における「グアム島にて戦死扱いに」の解説

1941年昭和16年8月には再召集され中国満州を経に送られた。1944年昭和19年)からはグアム島歩兵第38連隊陸軍軍曹として配属同年7月にはアメリカ軍上陸しグアムの戦い)、島での米軍との戦いにより日本軍壊滅状態となり、横井所属する中隊同年8月10日解散8月に同島で戦死したとされ戦死公報届けられている。 後に横井出した著書明日への道」では、「生存した我々5名は、何より水と食料確保できる地点潜伏の第一条件だろうと考えました昼間ジャングルにひそみ、朝夕警戒しながら食べ物を探し廻る野良犬生活を始めたのです」と記している。当時グアム守備隊壊滅後も生き残った一部将兵山中撤退しゲリラ戦行っていた。しかし、1945年昭和20年)のポツダム宣言受諾によって日本軍無条件降伏発令されたことは知らされなかった。グアム島にも残留日本兵投降呼びかける放送鳴り響いた。「明日への道」では「その放送聞いて私たち敗戦信じられず、相変わらず敵の襲撃恐れてジャングルの中をさまよい続けたのです。長くとも十年待っておれば、必ず日本軍は力を盛りかえしてこのグアム島へも攻め寄せてくると固く信じておりました」と記したという。横井らはジャングル竹藪に自ら作った地下壕などで生活していた。 1946年5人組のうち二人投降しその後1964年残り二人が(一部では、台風巻き込まれとされる)力尽きた独りになった横井は「島に眠る数限りない友軍の魂が私を助けてくれる」と信じて生き続けた1965年昭和40年10月30日第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。

※この「グアム島にて戦死扱いに」の解説は、「横井庄一」の解説の一部です。
「グアム島にて戦死扱いに」を含む「横井庄一」の記事については、「横井庄一」の概要を参照ください。

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