クラ9000形時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
「国鉄クラ9000形貨車」の記事における「クラ9000形時代」の解説
超低床車両を実現するために、まず半径の小さな車輪を装備した台車を開発した。車輪径は350mmと、通常の日本の鉄道車両でよく用いられている860mmに比べて半分以下のものとなっている。また、小さすぎる車輪では分岐器通過に際してうまく案内ができないため、三軸台車を採用している。軸重は6tである。三軸台車は、一軸台車を3つ並べてその間を連結したような構造で、上下に撓むことができるようになっており、これにより軌道への追従がよく三軸台車で95 km/hを実現できる。ボルスターなしで側受けにより車体を支えて、台車高さは400mm程度となっている。踏面ブレーキではブレーキ力が不足するために、車輪両側面を制動するディスクブレーキで、また台車に基礎ブレーキ装置を装荷するスペースがないため車輪ごとにブレーキシリンダーが取り付けられている。 まず1971年(昭和46年)度にトーションバーとコイルばねの併用式のばね装置のTR900形台車を日本車輌製造で、重ね板ばねのTR901形台車を日立製作所でそれぞれ1つずつ製作して試験を行った。これに、1972年(昭和47年)度に国鉄郡山工場でトキ15000形の台枠を基に仮車体を製作して装備して、工場内での実験を行った。この時、トラックを搭載した時の重心を想定してやぐらのような構体を車体上に組んでいる。実験の結果がよかったTR901形台車をもう1つ製作して装備し、1973年(昭和48年)度には狩勝実験線などで実験を行った。1974年(昭和49年)度に運輸大臣の特認を得てクラ9000形の形式が与えられ、本線上での試験が行われた。 試験では軸受グリスの高温耐久性などの問題があったものの、それほど大きなものではなかった。しかしコンテナ輸送が本格的に普及していたことから、1976年(昭和51年)度の走行実験で一旦は開発が打ち切りとなった。
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