クヤヴィ公家及び再興ポーランド王家
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「ピャスト家」の記事における「クヤヴィ公家及び再興ポーランド王家」の解説
「クヤヴィ・ピャスト家」も参照 コンラト1世の次男カジミェシュ1世を祖とする。その息子ヴワディスワフ1世(短身王)は分裂したポーランドを再統一し、1320年にポーランド王に即位する。ヴワディスワフ1世の死後はカジミェシュ3世(大王)がポーランド王位を継承し、この王の許でポーランドは黄金時代を迎える。カジミェシュ3世の死後は姉の息子のハンガリー王ラヨシュ1世が王位を継ぎ、ピャスト家がポーランド王位に就くことは2度となかった。
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