キングの子飼い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 06:20 UTC 版)
「ジョン・S・マケイン・シニア」の記事における「キングの子飼い」の解説
1941年12月7日の真珠湾攻撃によりアメリカは第二次世界大戦に参戦。1942年5月、マケインは南太平洋航空部隊司令官に任命され、ソロモン諸島の戦いにおける基地航空部隊の指揮にあたった。特に8月のガダルカナル島の戦い以降はヘンダーソン飛行場を拠点とし、カクタス航空部隊(英語版)を含む指揮下の航空部隊を以って、ガダルカナル島に接近する日本軍との対決に全力を傾けた。しかし、その最中の10月、マケインはワシントンD.C.に召喚される。当時、海軍省航空局局長だったのは、マケインの同期であるタワーズだった。このタワーズと犬猿の仲だった合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将は、タワーズをどうにかして遠方に追いやる方策を考えていた。そこに、真珠湾に太平洋航空部隊を創設プランが浮上。キングはこれ幸いとタワーズを海軍中将に昇進させた上で太平洋航空部隊司令官として「栄転」という名の左遷を行った。そして、タワーズを追い払った後の航空局長の座に可愛がっていたマケインを据え、これまで自身の手が及ばなかった航空局の支配に成功した。マケインがキングの子飼いになった時期は定かではないが、ともかく、以後のマケインのキャリアには、何かとキングの影が付きまとうこととなる。
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