キリスト教内部による史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
「ナザレのイエス」の記事における「キリスト教内部による史料」の解説
イエスの事績を記述するキリスト教文書(聖書)において、現在残されているイエスに言及する最古の史料は新約聖書内のパウロの真筆と想定される書簡(『パウロ書簡』)である。 しかし、これら残存するパウロの文書には、生前のイエスと直接会っていることをうかがわせる記述はなく、書簡の中でパウロが出会ったと証言しているのは「復活後のキリスト」である。また、パウロにおいて史的イエスの実像を記述した証言は、ほぼ皆無に近い。 『新約聖書』に含まれる、福音書やその他の書簡などの文書についても、イエスの弟子の名前が冠されているものの、イエスが刑死した後かなり年代が経過した1世紀後半以降に成立したと推定されており、これらの文書の筆者もイエスを直接には知らないと考えられている[要出典] 。したがって、『パウロ書簡』は、イエスの実在性を証明する一次史料とはなっていない。しかしながら、パウロの真筆の手紙によって、イエスの弟子であるペトロや他の使徒たち、またイエスの兄弟であるヤコブが実在したことは証明されていると言える。 「史的イエス」を福音書の言行から復元する試みは19世紀より盛んに行われ、聖書内に描かれているイエス像が現実性を欠くことや、各福音書や外典のイエス伝が大部分で相互に矛盾するといったこと、またイエスに関する確実な一次史料を欠いていることを理由に、例えばヘーゲル左派などからイエスの実在自体を否定する見解が出されるに至った。 しかし仮にイエスが実在しないと仮定した場合、原始キリスト教徒らは、実際には存在していない自分たちの指導者を作り上げ、いかなる宗派のユダヤ教思想でも考えられないことに、その人物を「神の御子」と呼び、しかもローマ帝国によって「神の御子」が処刑されたうえに、さらに、その死後復活したという教えを説いてまわったということになる。かれらに何故そのような複雑で何重にもわたる虚構を捏造する必要があったのか、大きな疑問がのこる。 その後の新約聖書学の提供する知見からイエスの実在を否定する論はほとんど支持されていない 。
※この「キリスト教内部による史料」の解説は、「ナザレのイエス」の解説の一部です。
「キリスト教内部による史料」を含む「ナザレのイエス」の記事については、「ナザレのイエス」の概要を参照ください。
- キリスト教内部による史料のページへのリンク