キリグアの近現代とは? わかりやすく解説

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キリグアの近現代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 20:26 UTC 版)

キリグア」の記事における「キリグアの近現代」の解説

キリグア価値初め公にされたのは、1840年ジョン・ロイド・スティーヴンズ (John Lloyd Stephens)とフレデリック・キャザウッド (Frederick Catherwood)が訪れて以来である。当時の情勢が彼らにとってあまり都合の良いものでなかったため、短期間とどまったが、キャザウッドは、その短期間の間に2基の石碑見事なスケッチをし、その絵はスティーヴンズ著書中央アメリカ、チャパス、ユカタンの旅での出来事」 (Incident of Travel in Central America, Chiapas and Yucatan)に簡単な説明つきで載っている。 キリグアについてもっと長い記述をしたのは、ドイツ人探検家カール・シェルツアー (Karl Scherzer)の著作である。アルフレッド・モーズレー (Alfred Maudslay)は、1881年1882年1883年キリグア宿営し詳細な調査視覚訴え石碑石彫などあらゆる記念物写真記録小規模な発掘調査マヤ文字刻まれ石碑主要な石彫石膏型をとって、論文著した石膏型大英博物館送られた。モーズレーは、1894年に再びキリグア訪れた1910年ユナイテッド・フルーツキリグア買い取り遺跡周囲はすべてバナナ農園となったバナナ農園キリグア周囲30エーカー(約121,000m2)に及んだニューメキシコサンタフェアメリカ考古学院(後の先研究学院 (School for Advanced Research) )のエドガー・リー・ヒュウェット (Edgar Lee Hewett) とシルヴァヌス・モーリーによって1910年から1914年にかけて調査が行われた。キリグア石碑からヒュウェットによって石膏鋳型から造られキリグア石碑レプリカは、1915年カリフォルニア州サン・ディエゴ行なわれたパナマ・カリフォルニア博覧会 (Panama-California Exposition)で展示された。Aldous Huxley 卿は、キリグア石碑記念碑について「これは人間時間事物対す勝利であるとともに時間事物人間対す勝利である。」と評している。1970年グアテマラ国立記念物 (Monumento Nacional) に指定され1975年遺跡公園 (Parque Arqueológico) が開設された。1975年から1980年通してペンシルベニア大、ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティとグアテマラ政府スポンサーとなってキリグア調査プロジェクトが行なわれた。1981年にその卓越した石彫すばらしさから世界遺産登録された。

※この「キリグアの近現代」の解説は、「キリグア」の解説の一部です。
「キリグアの近現代」を含む「キリグア」の記事については、「キリグア」の概要を参照ください。

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