キリグアの近現代
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キリグアの価値が初めて公にされたのは、1840年にジョン・ロイド・スティーヴンズ (John Lloyd Stephens)とフレデリック・キャザウッド (Frederick Catherwood)が訪れて以来である。当時の情勢が彼らにとってあまり都合の良いものでなかったため、短期間にとどまったが、キャザウッドは、その短期間の間に2基の石碑の見事なスケッチをし、その絵はスティーヴンズの著書「中央アメリカ、チャパス、ユカタンの旅での出来事」 (Incident of Travel in Central America, Chiapas and Yucatan)に簡単な説明つきで載っている。 キリグアについてもっと長い記述をしたのは、ドイツ人探検家カール・シェルツアー (Karl Scherzer)の著作である。アルフレッド・モーズレー (Alfred Maudslay)は、1881年、1882年、1883年、キリグアで宿営し、詳細な調査と視覚に訴える石碑、石彫などあらゆる記念物の写真記録と小規模な発掘調査、マヤ文字の刻まれた石碑や主要な石彫の石膏型をとって、論文を著した。石膏型は大英博物館へ送られた。モーズレーは、1894年に再びキリグアを訪れた。1910年、ユナイテッド・フルーツがキリグアを買い取り、遺跡の周囲はすべてバナナ農園となった。バナナ農園はキリグアの周囲30エーカー(約121,000m2)に及んだ。ニューメキシコのサンタフェのアメリカ考古学院(後の先端研究学院 (School for Advanced Research) )のエドガー・リー・ヒュウェット (Edgar Lee Hewett) とシルヴァヌス・モーリーによって1910年から1914年にかけて調査が行われた。キリグアの石碑からヒュウェットによって石膏の鋳型から造られたキリグアの石碑のレプリカは、1915年カリフォルニア州サン・ディエゴで行なわれたパナマ・カリフォルニア博覧会 (Panama-California Exposition)で展示された。Aldous Huxley 卿は、キリグアの石碑や記念碑について「これは人間の時間と事物に対する勝利であるとともに、時間と事物の人間に対する勝利である。」と評している。1970年にグアテマラの国立記念物 (Monumento Nacional) に指定され、1975年に遺跡公園 (Parque Arqueológico) が開設された。1975年から1980年を通してペンシルベニア大、ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティとグアテマラ政府がスポンサーとなってキリグアの調査プロジェクトが行なわれた。1981年にその卓越した石彫のすばらしさから世界遺産に登録された。
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