ガリレオの実験以前の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 23:38 UTC 版)
「ガリレオによるピサの斜塔実験」の記事における「ガリレオの実験以前の記録」の解説
ガリレオより前の時代、あるいはガリレオと同時代に、ガリレオ以外の手によって、アリストテレスの考えを批判した記録や、異なる重さの物体が落とされた実験について書かれた記録も残されている。 アリストテレスの理論については、古くは6世紀にヨハネス・ピロポノスによって批判されていた。また、1544年にベネデット・ヴァルキ(英語版)も、重いものほど速く落ちるというアリストテレスの考えは正しくないと述べている。 アリストテレスの理論を思考実験という形で否定したのは、イタリアのジャンバッティスタ・ベネデッティ(英語版)である。1554年、ベネデッティは、同じ重さの5個の球を同時に落とす運動を考えた。このとき、5個の球は同時に地面に到達する。しかし、5個のうちの4個の球をつなげて1個の物体と考えた場合、それは元の球の4倍の重さとなる。したがって、元の球の重さでも、その4倍の重さでも、地面に到達するのは同時だと考えられる。 ベネデッティの考えは、ガリレオに影響を与えたといわれている。実際、ガリレオの『新科学対話』では、上記の思考実験と似た議論が展開されている。 ベルギーのジャン・テニエ(英語版)もまた、ベネデッティの影響を受けた。テニエは1561年の著書で落体の理論を記し、同書は1579年に英訳された。この本ではベネデッティに触れていないが、内容は図も含めてベネデッティの著作と同一であり、明らかにベネデッティの剽窃である。しかし同書によってベネデッティの理論はイタリア国外に広がった。 テニエの本を読んだ1人が、オランダのシモン・ステヴィンであった。そしてステヴィンは、知人でデルフト市長のデ・クロート(オランダ語版)と協力して落下実験を試みた。ステヴィンらは、一方が他方の10倍の重さの2つの鉛の球を用意し、それを30フィートの高さから同時に落とした。そして、球が落ちる音が1回だけ聞こえたことから、アリストテレスの理論は正しくないと結論付けた。ステヴィンらの実験は、遅くとも1586年に実施されている。したがって、仮にガリレオがピサ時代に実験していたとしても、ステヴィンらの実験はそれより3年以上早い。 このほか、パドヴァ大学のジュゼッペ・モレッティ(英語版)も、1576年、同じ大きさの鉛の球と木の球を同時に落とすと同時に地面に到達することを実験したと述べている。
※この「ガリレオの実験以前の記録」の解説は、「ガリレオによるピサの斜塔実験」の解説の一部です。
「ガリレオの実験以前の記録」を含む「ガリレオによるピサの斜塔実験」の記事については、「ガリレオによるピサの斜塔実験」の概要を参照ください。
- ガリレオの実験以前の記録のページへのリンク