ガリレオと同時代のピサの斜塔実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 23:38 UTC 版)
「ガリレオによるピサの斜塔実験」の記事における「ガリレオと同時代のピサの斜塔実験」の解説
ガリレオ存命中のピサの斜塔実験としては、以下の2例がある。どちらも、ガリレオがピサ大学を離れて以降の出来事である。 1612年、ジョルジョ・コレジオ(英語版)は、ピサの斜塔から同じ材質で異なる重さの物体を落下させたと記録した。これは、ガリレオの友人でありアリストテレスを批判していたヤコポ・マッツォーニ(英語版)に反論するためであった。コレジオは、物体が同じ速さで落ちているように思うのは、低い場所で実験しているからだと考えたのである。コレジオの実験では、重い物体は軽い物体よりも速く落ちるという結果が得られた。したがってコレジオは、アリストテレスは正しいと結論付けた。 1641年、ヴィンチェンツォ・レニエリ(英語版)も、ピサの斜塔で実験した。これは、同じ大きさの鉛の球と木の球を落下させると同じ速度で地面に到達するという、イエズス会士ニッコロ・カベオ(英語版)の記述を確かめるためであった。レニエリによれば、この実験では少なくとも3キュビットの差が生じた。また、球形砲弾とマスケット銃弾の大きさにそれぞれ等しい2つの鉛の球での実験では、大きい球が手のひら1つ分だけ先に落ちるという結果が得られた。レニエリはこの実験の解釈についてガリレオに手紙で意見を求めた。
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