ガオ州でのゲリラ戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)
「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「ガオ州でのゲリラ戦」の解説
北部マリの主要都市の奪還後、戦闘はイフォガス山地とガオ州東部の二方面に移行する。いくつかのイスラム戦闘員グループはMUJAOの後方地域に存在している。また、ボコ・ハラム、イスラム聖戦士血盟団およびポリサリオ戦線は傭兵を提供している。アンサール・アッ=ディーンやAQIMと異なり、MUJAOは北方に撤退した。これは支援の望みが薄い人口希薄な地域しか保持しないことを意味した。2月上旬、「新紛争区」という新たな戦線を構築する意向であると発表し、これは主に継続的な自爆攻撃の実施や、地雷やIEDの埋設、輸送車列の襲撃に転換することで「フランスとその同盟国に対し攻撃を増加させる」とした。 2月5日、ガオのマリ=フランス連合軍はメナカから移動してきたAFISMAのニジェール部隊の増強を受けた。しかし、メナカでは力の空白が発生し翌日にはMNLA戦闘員40人によって町の支配権が握られる。 2月と3月、ガオは3度に渡りイスラム過激派による自爆攻撃を受ける。2月10日には最初の、次に2月20日、三度目は3月24日に発生している。これらはいずれも千人規模の兵が駐留する市街地に先遣隊を潜入させようと試みられるが、いずれも検問所周辺での騒動に終始している。被害はマリ兵と民間人12人の死亡、イスラム戦闘員約30人が殺害されている。 連合軍部隊の進撃は妨げられるものではなく、2月12日にマリ=フランス連合軍はメナカに入り戦闘は生起せずMNLAは町の支配権を放棄する。2月17日、マリ=フランス=ニジェール連合軍は戦闘無しでブーレムに入城する。複数編成された巡察隊は地域内に分散しているイスラム過激派集団の抵抗をあぶり出すに任務を負う。 2月27日、ドロ作戦が発動し、ガオ東部方面のMUJAO対する攻勢を始める。作戦目標は域内に点在すると見られるイスラム武装勢力を殲滅し、武器等を押収するため捜索を実施することにある。3月2日、400人規模のマリ=フランス連合軍は100から200人程度のイスラム戦闘員が潜伏しているとみられるイメナス村(Imenas)を攻撃、激戦の末にイスラム戦闘員51人または52人を殺傷する。3月6日、タンケラテン(Tin Keraten)にてマリ=フランス連合軍が襲撃される。この戦闘でフランス兵1人が重体、イスラム戦闘員数十人が殺害される。その後3月12日から17日にかけて小競り合いが起きイスラム戦闘員15人を殺害する。 3月24日から30日の間、ブーレムとアネフィフ間にてMNLAとMUJAOおよびイスラム聖戦士血盟団が交戦する。MNLAは死者5人、負傷4人、イスラム戦闘員は18人が死亡している。
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