ガオ北部での攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)
「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「ガオ北部での攻勢」の解説
3月下旬、イスラム過激派はマリの都市攻撃を再開する。3月24日、ガオではMUJAOの襲撃を受け、過激派4人、マリ軍兵士や民間人が死亡する。トンブクトゥでは2度にわたる襲撃を受け、始めの3月20日にはMUJAOが、二十日後の二度目にはAQIMによってなされている。一連の襲撃でイスラム過激派約30人死亡し、マリ側の損害は死者3人、負傷者18人さらに民間人5人が死亡している。 戦闘はその後ガオ北部で進展し、3月24日から30日にかけてMNLAとMUJAOはブーレムやアネフィフで交戦する。一連の戦闘でMNLA側は5人が死亡し、イスラム過激派側は18人が死亡している。 フランス軍はMUJAOの聖域と目されるブーレム北にあるイナイ谷(vallée d’Inaïs)に大規模な攻勢を仕掛ける。4月7日、フランス軍は航空機支援の下で将兵800人、装甲車両150台を投入しグスタフ作戦(Opération Gustav)を発動、谷を包囲するため機動を開始するも、逃走するイスラム過激派を捕捉するには一足遅かった。しかし、ロケット51基、そのシェル700筒、航空爆弾16発および弾薬箱17箱を含む弾薬18トンを捜索中に発見しこれを鹵獲している。
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