カンポンボーイ 昨日・今日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/18 13:37 UTC 版)
「カンポンボーイ」の記事における「カンポンボーイ 昨日・今日」の解説
ラットは1993年に刊行された『カンポンボーイ 昨日・今日』(Kampung Boy: Yesterday and Today) でカンポンのルーツを再訪した。コミック研究者ジョン・レントは同作をラットの「最高の業績」と評した。『昨日・今日』ではラットが1960年代に夢中になっていた遊びが取り上げられているが、過去の情景は1980~90年代における似た状況と並べられ、ユーモラスな視点で対比される。現代のシーンを水彩で、過去のシーンを白黒のままで描写することで、対置はいっそう強められる。ラットがこの本で目標としたのは「自身の子供たちに昔の生活がどれほど良かったか伝えること」だった。 『カンポンボーイ』と同じく、『昨日・今日』では各シーンが非常に細密に描写されている。家庭や屋外で見つかる単純な品物を組み合わせたおもちゃで遊ぶ子供たちが描かれ、そのおもちゃの模式図も示される。ラットは過去の遊びを現代と比較し、現代の若者が創造性を失ったと嘆く。そのほかにも社会の変化についての論評が行われている。あるページでは、プールで水泳のレッスンを受ける子供を両親が熱心に見守り、その脇にはメイドがさまざまな水泳用具を持って控えている。激しい身振りで泳ぎ方を教えようとする親たちを横目に、ライフガードとインストラクターがプールの傍らに座って子供の上達を見守っている。対するに過去のシーンでは、「僕たちには川しかなかったし、お父さんはこうやって泳ぎを教えてくれた」というナレーションのもとで、怯えて暴れるラットは父親によって無造作に川に投げ入れられる。このようなディテールはムリヤディによると読者の追憶を誘い、「漫画をよりよく味わわせてくれる」。 大学講師ザイニ・ウジャンは『昨日・今日』で書かれる過去と現在の比較を社会批評と捉え、古いものの価値を考えずに新しいものと置き換えることだけが「発展」と呼ばれるのを容認できるか問いかけた。マレーシア国民大学(マレー語版)のフジア教授は本書の結末を、子供からゆったりした生活を取り上げていいのかという親世代への警鐘だと解釈した。レントも同様の意見を持っており、ラットは冒頭から自身と友達が「大人になるのを急いでいない」姿を描くことで同じテーマを示していると述べた。レザ・ピヤダサの示唆によると、ラットはもう一つの目標として、マレーシアの都市部で育つ子供たちが「人間性を失わせる環境」にあることを指摘しようとしていた。
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