カルザイ氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:34 UTC 版)
ハーミド・カルザイは、1957年12月24日、ウルーズガーン州に生まれた。アフガン国内多数派であるパシュトゥーン人の2大部族連合の内、南部を基盤とするドゥッラーニー部族連合、ポーパルザイ部族の名門カルザイ氏族の出身。カルザイ氏族は、18世紀にドゥッラーニー朝の創始者アフマド・シャー・ドゥッラーニーを王位に推戴した氏族の1つで、全ポーパルザイ部族(約50万人)の指導氏族と考えられている。 弟のアフマド・ワリー・カルザイ(パシュトー語版、英語版)(Ahmed Wali Karzai)は、カンダハール州の州議会議長を務める政治家で、同州の商業・政治上の取引を支配している実力者とされていたが、2011年7月12日に自宅で警護官によって殺害された。アフマド・ワリーについては、CIAの協力者として同局から俸給を得ていたとする報道があるほか、米国寄りの政策を行う見返りに国内の麻薬市場を牛耳っているという疑惑もあり、田中龍作からは「アフガンを暗黒大陸たらしめている麻薬の密売王」と批判されていた。 父のアブドゥルアハド・カルザイ(1925年 - 1999年)は、ポーパルザイ部族長、代議員、ザーヒル・シャー国王の側近であり、憲法の起草にも参加した。1999年7月、ターリバーンにより暗殺。実兄のマフムード・カルザイは実業家で米国在住。 叔父のハーン・モハマッド・カルザイは、現在、ポーパルザイ部族長を務めている。従兄弟のハビーブッラー・カルザイは、王政時代、外交官を務め、現在、クエッタのアフガン人移民の指導者の1人。
※この「カルザイ氏族」の解説は、「ハーミド・カルザイ」の解説の一部です。
「カルザイ氏族」を含む「ハーミド・カルザイ」の記事については、「ハーミド・カルザイ」の概要を参照ください。
- カルザイ氏族のページへのリンク