カフェの開店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 01:53 UTC 版)
1885年、流行品店ドゥ・マゴは廃業し、同じ「ドゥ・マゴ」の店名で酒類を出すカフェバーとして再出発した。すでに1860年代に同じ6区のモンパルナスにあるカフェ「クロズリー・デ・リラ」は、エコール・デ・ボザールのシャルル・グレールの学生(クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーら)が集まる場所となっており、次第にカルティエ・ラタンに近いこの界隈に芸術家や文学者が集まるようになった。特に、詩人のステファヌ・マラルメやポール・ヴェルレーヌ、1871年に「酔いどれ船」を携えて上京し、ヴェルレーヌの義父母のもとに身を寄せたアルチュール・ランボーはドゥ・マゴの常連であった。 だが、この頃、ドゥ・マゴは経営難に陥り、1914年に、オーヴェルニュ出身のオーギュスト・ブーレ・マティヴァがドゥ・マゴを買収し、事業を受け継ぐことになった。 第一次大戦によりそれまでの価値に対する信頼が崩れ、戦間期に様々な前衛芸術・文学運動が起こった。この頃、ガートルード・スタインが「失われた世代」と呼んだアメリカ人作家らがパリを拠点に活動し、一方で、1919年に活動の場をチューリッヒからパリに移したトリスタン・ツァラとアンドレ・ブルトンを中心に、既成の価値の破壊やブルジョア的な社会秩序の壊乱を目指すダダイスムの運動が起こった。スタインに「失われた世代」だと言われたヘミングウェイ、およびアンドレ・ジッド、ジャン・ジロドゥ、ジャック・プレヴェール、ギヨーム・アポリネール、藤田嗣治らの作家や画家がドゥ・マゴの常連であり、やがて、ダダイスムを批判的に受け継ぐシュルレアリスムの運動が起こると、ブルトンを中心とするシュルレアリスト、すなわち、ルイ・アラゴン(および女性初のゴンクール賞受賞作家で妻のエルザ・トリオレ)、ポール・エリュアール、バンジャマン・ペレ、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノスらの活動拠点となった。キュビスムやシュルレアリスムの画家フェルナン・レジェ、パブロ・ピカソも参加した。ピカソが写真家ドラ・マールに出会ったのは、1936年1月、ドゥ・マゴでのことである。
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