カタンガ国と南カサイ国の分離独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 07:04 UTC 版)
「コンゴ動乱」の記事における「カタンガ国と南カサイ国の分離独立」の解説
1960年7月11日には、CONAKATの指導者モイーズ・チョンベは南部のカタンガ州が首都をエリザベートヴィルに置き、彼自身が初代大統領に就任するカタンガ国としてコンゴ共和国から独立することを宣言した。豊富な資源を有するカタンガ地域は近接する銅の世界的産地、北ローデシアのカッパーベルトと伝統的に緊密な経済関係にあった。CONAKATはさらに、カタンガの人々は他のコンゴ人とは民族的に異なっていると主張した。州の採掘作業によって得られた収益をコンゴの他の地域と共有することを避け、より多く保有するためのカタンガ住民の分離独立欲求の高さが離脱の動機の一つであった。もう一つの大きな要因はコンゴの中部および北東部における治安の崩壊である。カタンガの分離独立を発表したチョンベは「我々は混沌から脱出している」と述べた。 カタンガの大手鉱山会社ユニオン・ミニエール・デュ・オー・カタンガ(UMHK)はMNCが独立後に会社の資産を国有化するのでは無いかと警戒し、ベルギーによる植民地支配が終了する以前からCONAKATに対する支援を開始していた。UMHKはベルギー政府と密接な関係を持ち、ブリュッセルに本社を置く有名な持株会社ソシエテ・ジェネラル・デ・ベルギー(英語版)が主に所有していた。UMHKに力付けられたベルギー政府はカタンガ国に軍事的支援を提供し、この地域に残る文官に任務を継続するように命じた。チョンベも南アフリカ連邦やローデシアからも含まれる、主に白人からなる傭兵集めに着手し、カタンガ憲兵隊を組織した。ベルギーから支援を受けていたが、分離期間を通してどの国からも正式に外交上の承認を受けられなかった。 カタンガが分離してから1ヶ月に満たない8月8日に、カタンガからわずかに北に位置し、ムブジマイに首都を置く南カサイ鉱山国がコンゴ中央政府からの独立を宣言した。南カサイはカタンガよりはるかに小さな領域であったが、カタンガと同様に採掘地域でもあった。ルバ族が住民の多数派を占める地域であり、南カサイ大統領に就任したアルベール・カロンジはコンゴの他の地域におけるルバ族に対する迫害が分離の発端になったと主張した。南カサイの新政府は特権を与えることで、フォルミニエール(英語版)などの鉱山会社から経済的支援を引き出した。
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