カウンティ・オブ・ロンドンを拡張する提案
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「グレーター・ロンドン」の記事における「カウンティ・オブ・ロンドンを拡張する提案」の解説
1889年にカウンティ・オブ・ロンドン (County of London) の区域を占めるロンドン・カウンティ・カウンシル (LCC) が創設されたが、このカウンティはロンドンの市街化地域の全てを占めてはいなかった。特に、ウェストハム (West Ham) とイーストハム (East Ham) 、そして、広大なベコンツリー・エステート (Becontree Estate) を含む、多くのLCCの住宅開発計画対象地域が区域の外側にあった。第一次世界大戦が終結すると間もなく、LCCは当時ロンドン警視庁とロンドン市警察の管区内に122の住宅当局があったことを指摘し、カウンティの境界線の変更を強く求めた。ロンドン政府に関する王立委員会 (Royal Commission on London Government) が立ち上げられ、この問題について審議された。LCCはグレーター・ロンドンのために、ロンドン警視庁管区とホーム・カウンティ(英語版)の間を境界とする、広大な区域を新たに設けることを提案した。この提案に対し、当局が対象としている地域にウィンザー、スラウ、そしてイートンが含まれるかもしれないことに、抗議が起こった。委員会は1923年に報告書を公表し、LCCの構想を却下した。この際、2部の反対意見書は、比較的小さなバラ・カウンシルと戦略的機能を持つ中央当局の両方を含めた、小規模の都市的地域の合併を越えた変更に賛意を表明した。翌年、1924年ロンドン交通法 (London Traffic Act 1924) が委員会の審議の結果を受けて成立した。カウンティ・オブ・ロンドンとその周囲における地方自治制度改革は、次にエドウィン・ハーバート(英語版)を議長とするグレーター・ロンドンにおける地方政府に関する王立委員会 (Royal Commission on Local Government in Greater London) によって検討が進められ、3年間の審議の末、1960年に「ハーバート報告」 (the 'Herbert Report') が提出された。委員会は「万一コミュニティがグレーター・ロンドンの一部分を形成したとしたら如何か」を決定するために、次の3つの試問を適用した。一、独立したセンターとしての当地域はそれ自体でどれくらい強固であるか。一、そのロンドンとの諸関係はどのくらい強固であるか、そしてどれくらい強固に、内向きにロンドンへ向かってではなく、外向きに国内へ向かって引き寄せられるものがあるか。
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