オーディションおよびブロードウェイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 05:53 UTC 版)
「ザ・ウィズ (ミュージカル)」の記事における「オーディションおよびブロードウェイ」の解説
ミュージカルのアイデアは元々プロデューサーのケン・ハーパーが考案した。彼は当初の演出家をギルバート・モゼスから、市外での試験興行中にミシガン州デトロイトのジェフリー・ホールダーに交代させた。 ボルチモアのオリジナル・キャストにはドロシー役にリニー・ハリス、カカシ役にチャールズ・ヴァレンティノ、ブリキ男役にベン・ハーニー、臆病ライオン役にケン・プリマス、フィールド・マイスの女王役にバタフライ・マクイーン(英語版)が配役された。ハーニーのみがブロードウェイにも出演したが、より小さな役になった。ブロードウェイにおいてハリスはドロシー役の代役に、マクイーンはアデペリー役の代役になった。 1975年1月5日、ブロードウェイのマジェスティック・シアターでジェフリー・ホールダー演出により開幕した。 ステファニー・ミルズ - ドロシー ヒントン・バトル - カカシ タイガー・ヘインズ - ブリキ男 テッド・ロス - 臆病ライオン ディー・ディー・ブリッジウォーター - 南の良い魔女グリンダ アンドレ・デシールズ - ウィズ メイベル・キング - 西の悪い魔女イヴリン クラリス・テイラー - 北の良い魔女アダパール テイシャ・トーマス - エム叔母 ラルフ・ウィルコックス - ヘンリー叔父 フィリシャ・ラシェイド - マンチキン ヴィクター・ウィリス - ヘンリー叔父(後任)、ウィズ(代役)、臆病ライオン(代役)、ブリキ男(代役) 評価は賛否両論で、プロデューサーのケン・ハーパーはブロードウェイ開幕日の夜にもう閉幕してしまおうかと考えた。しかし出演者が『Ease On Down the Road 』を歌うテレビ・コマーシャルが流れると人気が出てディスコ・グループのコンシューマー・ラポートがこの曲をシングルでリリースするなど成功に向かっていった。このシングルは『ビルボード』誌のソウル・シングル・チャートで最高19位、総合チャートで最高42位となった。 1993年、脚本家のウィリアム・F・ブラウンは「この公演の主要投資家であった20世紀フォックスは公演継続のためさらに10万ドルを投じ、製作費110万ドルを回収するまで皆がロイヤルティー・カットに応じた。第8週にはチケットが完売になった」と語った。 1977年5月25日、ブロードウェイ・プロダクションはブロードウェイ・シアターに移動し、4年間1,672公演の後1979年1月28日に閉幕した。 1971年の『Purlie 』、1974年の『レイズン』など他のミュージカルと共に、『ザ・ウィズ』は全て黒人出演者による大規模な巨額ミュージカルとしてブロードウェイの突破口となった。のちの『Bubbling Brown Sugar 』、『ドリームガールズ』、『Duke Ellington's Sophisticated Ladies 』などのアフリカ系アメリカ人によるヒット作の基礎となった。
※この「オーディションおよびブロードウェイ」の解説は、「ザ・ウィズ (ミュージカル)」の解説の一部です。
「オーディションおよびブロードウェイ」を含む「ザ・ウィズ (ミュージカル)」の記事については、「ザ・ウィズ (ミュージカル)」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からオーディションおよびブロードウェイを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からオーディションおよびブロードウェイ を検索
- オーディションおよびブロードウェイのページへのリンク