オラトリオ受難曲の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 00:22 UTC 版)
17世紀後半のドイツでは、これまで無伴奏であった受難曲に器楽を導入し、自由曲を加える方向で受難曲の発展が見られる。福音書による受難物語は省察的な挿入部分によって中断され、関連する聖句やコラール等が用いられるとともに、通奏低音が採用され、イタリア風のレチタティーヴォやコンチェルタート様式によって楽曲が構成されるようになる。このようなタイプの受難曲を「オラトリオ受難曲」といい、最初期の作品としては、ハンブルクで活躍したトーマス・ゼレ(1592年-1663年)が1636年-1641年に作曲した2曲の受難曲があげられる。 オラトリオ受難曲は、マルティン・コレールス(1620年-1703年)、ヨハン・ゼバスティアーニ(1622年-1683年)、ヨハン・タイレ(1646年-1724年)、ヨハン・ヴァレンティン・メーダー(1649年-1719年)等、主に北ドイツの音楽家によって作曲された。コレールスの『マタイ受難曲』では、複数のシンフォニア、関連する聖句による声楽コンチェルトやモテット、コラールが挿入されるのに対して、タイレの『マタイ受難曲』では、器楽によるシンフォニアのほか、4曲のアリアが加えられており、受難節において器楽を用いない慣習のある地域では、アリアをコラールに代え、聖句を既存の朗唱定式で歌うことで、無伴奏による演奏も可能とされている。 オラトリオ受難曲は、福音書の聖句に基づく点で、礼拝の一部としての機能を保持していたが、18世紀に入ると、マドリガーレ風の自由詩が付加され、ダ・カーポ・アリアや管弦楽を伴う大規模な合唱が組み込まれることで、オペラ的性格が強まるようになる。18世紀における代表的なオラトリオ受難曲には、ラインハルト・カイザー(1674年-1739年)の2曲の作品や、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681年-1767年)の46曲の作品等があり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年-1750年)の2曲の受難曲は、こうしたオラトリオ受難曲の頂点に立つものとして位置づけられる。
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